「わからない」と思うための対話 第7回 感想

 

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今日は「望みにも階層があるよ」ってことを教えます。

 

例えばある男性がいて、「もっと妻が自分に対して優しい言葉をかけてほしいんだ」という望みを持っているんだけど、その望みが叶う可能性が低いとしましょう。

こういう時は、「1個上の望み」を考えてみるんです。

 

どういうことかって言うと、ある望みっていうのは、その望みを叶えることによって手に入るものの「手段」だということです。

 

「じゃあもしも奥さんがもっと自分に対して優しい言葉をかけてくれるようになるとあなたにとってどんないいことがあるの?」とか「今とはどんな風に違ってくるの?」って質問します。

そうすると、「ああ、安心できますね」とか答えるわけ。そうすると「この人の望みは「安心したい」というものなんだなと分かるでしょ。

こうやって「手段」が下にあって「目的」が上にあるっていう風に図に書けば、一段上の望みっていうのが分かります。

 

で、「もし仮にこの『妻が自分に対して優しい言葉をかけてくれる』っていうのが実現しなくても、家にいて安心して過ごしていられるんだったらそれはそれでいいですか?」って聞いてみるわけです。

この時、「それでいいですよ。奥さんの声がけは全然変わらなくても、安心した心の状態を常に作れるようになれれば私は安心できます」って言われたらこっち(右)から登って行けばいい。別のルートでね。

 

この時何が起きたかって言うと、こっち(左)の望みがこっち(右)の望みにシフトしたわけ。

 

こんな風に、一個上の「安心できる(安心したい)」っていう目的を経由して望みを横にずらして新しい他の望みを持ってもらうことができます。

 

この時、「もっと妻が自分に対し優しい言葉をかけて欲しいんだ」「いや安心して心の状態を作れるようになりなさい」って、いきなりこの下段の部分で代替案を出して押したり引いたりすると、なんか対立構造になっちゃうんだよね。

そうじゃなくて、必ず1個上に上がって「あなたはこういう目的を持っているんだね。私はこの目的に協力すればいいんだね」っていうことをしっかり踏んでから下段の別のルートで登っていくっていう風にすると、こっちがアドバイスや提案をするにしても通りやすいです。

 

ワークの最中も言ったけど、ぼくはこの手法をとても頻繁に使われていて、すごく腹が立っている。

 

「レンタル話し相手やってるんですよ」

「それはなんのために?」

「学校を作るためです」

「それだったらレンタル話し相手じゃなくて別のことをやった方がいいよ」

 

何度このやりとりをされたことか!

ぼくはめちゃくちゃ考えた上でその手段を選んでるのに、「君の目的はこれでしょ? だったらその手段なんかよりこっちの手段の方がいいよ」って簡単に言うなよボケ!! といつも思っている。

 

そりゃ気持ちは分かるけどさ……。ぼくだって依頼者からの相談を聞いて「その手段で望みを叶えるのは無理じゃない……? 別の手段を考えた方が良くない……?」って思うこと結構あるけどさ……。

もうちょっと相手の考えた手段を尊重しようよ……「望みの横ずらし」を即座にやられたらその時点でその人のことは敵ポジションとしか思えなくなるんだよ……と思う……。

 

だからめんたねさんもおっしゃってたけど、「望みの横ずらし」をするのは、その人が考えた手段についてまずは一緒に考えて、「やっぱこの手段は無理だわ」と本人に諦めさせてからが理想だと思う。

 

でも諦めさせるのは相当時間がかかって実際には無理だろうから、実際には「その手段で考えてるのね。その手段もすごくいいと思うんだけど、一応他の手段も考えてみない?」みたいな言い方をすればいいんじゃないかなと思った。

 

 

 

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今は1つの手段に1個の目的だったんだけど、時には1つの手段に2つ以上の目的があるケースがあります。

例えばさっきの例だと、「じゃあもしも家で安心できるようになれば別に奥さんが自分に対して優しい言葉をかけてくれなくても大丈夫ですか?」って聞いた時に「ダメです」って答える可能性があるわけです。

その時ってたぶん、この手段で達成したい目的っていうのが「安心できる」の他に別のものもあるからなんですよ。別の手段にしちゃうとこっち(右の目的)が叶わなくなっちゃうからダメなんです。

例えば、「妻には子供の模範として行動して欲しいんです」とか、そういう目的があるかもしれない。

 

ぼくなんか、「レンタル話し相手で成功する」って手段の目的は

 

・お金を稼ぐ

・有名になる

・ファンを作る

・モテる

・彼女を作る

・周りの人を見返す

・学校を作る

 

ぐらいたくさんあるから、「レンタル話し相手で成功する」以外の手段は絶対に取らない。これだけの目的を一斉に叶えられる最高に効率の良い手段だからだ。

 

だけど、こうやって1つの手段で何もかも叶えようとしすぎるのは危険かもしれないとも思う。

 

大学4年生のヒッチハイクをした時、車に乗せてくれたおじさんがぼくにヒッチハイクをした目的を聞いてくれた。

 

ぼくはそのヒッチハイクに4つぐらいの目的を詰め込んでたからその目的を全部バーッと話したんだけど、そしたらその人がこう言ったのだ。

 

「全部の目的を1つの手段に結びつけなくてもいいんじゃない? なんか、無理やりこじつけてる気がする」

 

ぼくはこの言葉にかなりハッとさせられた。「このヒッチハイク中にこの目的を達成しなくちゃいけないんだ」と思い込んでいたけど、よく考えたらその目的のいくつかは、別にヒッチハイク中に達成できなくてもなんの問題もなかったのだ。帰ってからだって普通に達成できる目的だった。

 

おじさんの言葉でぼくは急に視野が広くなって楽になり、ヒッチハイクをのびのびとしたあと、帰ってからゆっくりとそれぞれの目的を違う手段で達成しようとするという賢明な選択ができたのだ。

 

 

こういうことって、ぼく以外の人も結構あるんだと思う。

このスライドの例で言えば、この男性は「いや、この2つの目的があるから奥さんには絶対に優しい言葉をかけてもらわないといけないんです!」と頑なに言い張るかもしれない。

 

でもそれぞれの目的をきちんと検証していけば、必ずしもその手段にこだわる必要はないのだ。

 

「安心したい」という目的を達成するためには「安心できる心の状態を作る」という手段を選べばいいし、「子供の模範として行動してほしい」という目的のさらに上は「子供に立派に育ってほしい」という目的があるだろうから、その目的を達成するためには、例えば「優しい言葉をかけることの大切さを自分自身で懇々と説く」とかいう手段を取るのでもいいかもしれない。

 

こうやって手段を細分化したり、聞いた目的のさらに上の段にある目的を聞いたりすれば、実現可能性の低い手段を取る必要はなくなる。現実的で楽な手段をとればいいのだ。

 

まぁぼくの場合は「レンタル話し相手で成功する」が最も現実的で楽な手段だと思うから、絶対に手段を変えないけど。

 

 

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お金って典型的な手段なんですよ。お金を使って何かを買ったり何かをやったりするわけでしょ。

「じゃあお金がもし手に入ったらどんないいことがありますか?」って聞くと、「とりあえず何にでも使えるし」とかいう漠然なことを答える人がいて、このケースってたぶん目的が曖昧なんです。

目的がそもそもないので、そういう人っていうのは「とりあえずなんか望みを言え」って言われたら「お金がほしい」って言っとくみたいな、そういう風な答え方をしている可能性が結構高いんです。

だからお金を手に入れたからって、そのお金を使って何をやりたいかっていうのはまだ見えてないんです。

 

ホリエモンの本で「お金を稼ぐ方法はたくさんあるけど、お金を稼いで君は一体どうするの?」みたいなタイトルのやつあったな。読んでないけど。

「お金を稼ぎたい」っていう相談は今まで1件もきたことないんだよな。それはぼくがお金を持ってないことが分かるからだろうな(笑)

 

いつかお金持ちになったらそういう相談もたくさん来るだろうから、その時は「お金が入ることでどんないいことがありますか?」と聞いてみよう。

 

 

 

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全てを抽象化していくと最終的には、幸福とか快感とか、そういうざっくりとした大きな話になります。

ただそれを具体的な手段に落とし込んだ時には人によって色々な形で分岐していて、その幸せになるための望みの分岐の仕方っていうのはその人の個性そのものだったりするわけですね。

 

どういう時にこの山登りをするかっていうと、

 

①今の望みが実現しにくい時

②今語られた望みがさっぱり意味が分からない時

 

基本的にはこの2つになります。

 

この時、「なぜ?」とかいう聞き方をしてしまうと、「純粋に理由を聞いている」と捉えられ図に「責められている」とか感じてしまう可能性があります。

 

なので、「その望みを叶えるとどんな良いことがあなたにあるんですか?」とか、「その望みを叶えるとあなたは今とどう違ってくるんですか?」なんて聞くと、1個上の望みが語られやすいです。

 

だから変に「責められた」とか萎縮させないようにしながら一段上の目的を聞くためにそういう聞き方をするって言うだけなので、自分が「ああ、そういうことね」って理解できるところまで登ればいいです。

 

ワーク中に「例外を考えたら『死にたい』っていう望みが思い浮かびました」って言ったけど、もう1つ例外があった。「人を助けたい」だ。

 

世の中にはナイチンゲールガンジーなど、自分の身を削ってでも人を助けたいとか世の中を良くしたいと思っている人がいる。そういう人は自分の幸せなんか望んでいない。

 

ここで

 

「いや、そういう人は人を助けることが生きがいになっているんだよ。結局自分のためなんだよ」

 

と思う人もいるかもしれない。もちろんそういう人もいるだろうが、世の中には本当に生きがいとかではなく使命感で人を救っている人がいるのだ。

 

身近な例で言えば、例えば夜回り先生がそうだ。彼は何人もの青少年を救っている一方で、何人もの青少年を亡くしている。ドラッグなど本当に危ないことをやっている人にも多く関わっているからだ。

 

夜回り先生はこう言っている。

 

「私は死んだら地獄に行くんです。だって何人もの生徒を死なせてしまったんですから」

 

そんな修羅の道を、生きがいだけで進めるわけがない。進めば進むほど、幸せどころか不幸せになることが分かっているのだから。

 

それでもそういう生き方をやめないのは、彼を動かしているのは「使命感」だからだろう。

「幸せになりたい」ではなく、「人を助けたい」というのが最終的な望みである山もあるとぼくは思う。

 

 

 

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北村さんの話を聞いたけど、シンプルすぎてすんなりできてしまった。もっと複雑な話を聞いてみたかった。

ワーク以外で試してみると派手に転びそうだから、失敗が許されるワークで難しい話に挑戦してみたい。予定していた回数より増えるかもしれないらしいし、第8回目以降のワークのどこかでチャンスがあったら、今回学んだ技術をまた使ってみたい。

 

「わからない」と思うための対話 第6回 感想

 

動画はこちら!

 

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今日のテーマはこれ!

 

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まず、今日やる技術はどういう場面でどういう風に使うのかっていう話からします。

これまで「悩みを聞いて望みを聞く」っていうワークをやってきたと思うんですが、「どうなったらいいと思いますか?」って望みを聞いているのに語られるのが悩みであるっていう場合がありますよね。

そういうケースの時にそれを望みとして語ってもらうためにちょっと工夫がいるわけです。

特に頭の中が悩みで考えるのにすごく慣れ親しんでいて、望みという形だとちょっと出てこないという人が結構いるわけね。

そういう人たちには望みを語ってもらう準備体操みたいなものが必要で、そのために使います。

 

なるほど!

 

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望みが出てきにくい人は、現実に縛られすぎちゃうんだよね。そこで現実から解き放つためにどうすればいいのかって言うと、遊びというかゲームというか、わざわざ現実離れした設定を持ち込みます。

例えば「魔法使いのおばあさんがやってきてあなたに魔法をかけて全てが思い通りになっちゃったらどうなりますか?」っていうのって、どう考えても実現しない質問ですよね。 実現しないからこそ比較的夢物語を気軽に語れる。

そうしないで「どんなことを望んでますか?」って聞くと、「いやこんなの無理だし、あんなの無理だし」って最初に可能性を閉じてしまうので、ちょっとチラついたことも語れなくなってしまう。

だからわざと「実現不可能なこと」っていう枠で包んで語ってもらいやすくするってことだね。

 

なるほど!!「現実に縛られすぎちゃう人には現実離れした設定を持ち込む」という発想はなかった!

確かにこれなら望みがなかなか出てこない人も、「まぁそういう設定なら……」と望みを語ってくれそう。

 

 

ところで、「相手の望みを引き出す」と言えば、ホリエモンがいつも言っている話を思い出す。

 

ホリエモンの元には「やりたいことがないんです」という人がよく相談に来るそうで、ホリエモンはそんな人といつも決まってこういうやりとりをするらしい。

 

 

「好きな芸能人いる?」

「はい。新垣結衣さんが好きです」

「いいね。じゃあ新垣結衣さんと付き合えたらいいなって思わない?」

「そりゃ思いますよ!」

「ほら、やりたいことあるじゃん。それが君のやりたいことだよ。君の目標は今から、『新垣結衣さんと付き合うこと』です。頑張ってね」

 

 

これは本当に素晴らしいやりとりだと思う。

ホリエモン曰く、

 

「『やりたいことがない』人なんていない。みんな、『本当はこれがやりたいんだけどどうせ無理だから……』と思って願望に蓋をしているだけだ」

 

とのことなのだが、ぼくも本当にそう思う。

志田未来と付き合う」というぼくの本気の思いに友達はみんな引いていたが、ぼくはそんなみんなに引いていた。なぜ無理だと決めつけるんだろう。

確かに一般人のままなら女優と付き合うのは不可能に近いだろうが、なんらかで成功してバラエティ番組に出て志田未来と絡んで仲良くなってLINEを交換すればいいではないか。

 

女優やアイドルが大好きな人は応援しているだけでいいのだろうか? 「応援だけするのが1番幸せなんです」と心から思えているならそれでいいと思うが、「もし付き合えたらどんなに幸せか」と思うならなぜ付き合うための努力をしないのか?

 

なぜ努力をしないかというと、ホリエモンの言う通り「思いに蓋をしているから」だろう。言い換えれば「枠に囚われている」ということだ。

 

その「枠」を取っ払うために、以下の質問はすごく効果的だと思う。

 

 

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今日はここに書いてある通りそっくりそのまま読んでもらえばいいです。慣れてくればこれを一言一句違わずに読んでもらう必要は全くなくて、「魔法使いのおばあさんに夢を叶えてもらう」っていう枠が説明できれば問題ありません。 

この時、以前のワークでも言ったように人は頭の中でイメージが持てたものに向かって動いて行きやすいので、なるべく具体的にイメージできる形で引っ張り出してあげた方がいいです。実際にそれを実行してるイメージが持てるように話を聞くということですね。

そのためにはこの、「翌朝目覚めてからどこでどんな風に奇跡が起きた事に気づきますか?」っていう質問が重要で、「『あ、ここで今自分はいつもと違う状態だぞ』って気づきます」っていうのは、けっこう具体的にイメージできてないと語れないわけですよ。

 

この質問によって枠を取っ払うことができれば、今まで蓋をしてきた望みを引っ張り出せるし、言葉にできる。うまくやれば、望みが叶った状態を具体的にイメージしてもらうことができる。

そうしたら「やっぱりこの望みに向かって進んでみたい」と思えるようになる確率は高くなるだろう。

 

 

 

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ラクルクエスチョンをされても最初は「特にないです」とか控えめで終わらせようとする傾向があるので、そこを上手く煽って引っ張り出すんです。こういう風にすると望みを考える準備体操……心のストレッチになるので、望みが出やすくなるんだよね。

 

これはできる自信が全然ない。ワーク以外でやって相手が不快にならないイメージが沸かない(笑)

いくら実現不能な設定ということにしていても、「今回を逃したら2度と叶えてもらえないので今できるだけ注文しておいた方がお得ですよ」と言っておいて、「まぁ設定だから実際には叶えられないんですけどね(笑)」と言うのにはかなり抵抗がある。なんというか、「ワクワクさせた責任」みたいなのがある気がする。

 

だけどこれはあくまで「煽り」としてはできないというだけであって、普通に優しく楽しく控え目な姿勢で聞くなら問題ないと思う。ぼくはそうやっていきたい。

 

 

 

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もちろん、ミラクルクエスチョンをした時に言ってもらった望みが実現可能かと言うとたぶん実現不可能なんです。

なんだけど、この「実現不能な大きい望み」っていうのが分かると実際に叶えるとしてもたぶんこっち側を向いたこの辺の話になったりはするんだろうなっていう望みの方向性が見えるじゃない。

それだけでも話を聞きやすいし、本人も「まぁ実際これは無理だとしてもこれぐらいは行けるかな」っていう風に望みが出やすくなったりします。

 

ぼくは本当に実現不能な望みなんて「過去に戻りたい」以外ほとんどないと思っている。本気になれば大抵どんな望みだって叶うので、一見実現不能に見える大きな望みに向かっても進むべきだと思う。

 

けどそれは最終段階の話であって、ミラクルクエスチョンを使わないと望みが出てこないような人にいきなりそんなことを言ったら「だから無理だって……」と確実にめげてしまうだろう。

 

だから「第一歩として」本人にも実現可能だと思える小さい望みを設定し、それに向かって進んでもらおうとするのは非常に大事なことだと思う。階段は一歩一歩順番に登らないといけない。

 

この「小さな望み」が叶った後はもう少し大きな望みを目指してもらいたいし、最終的には最果てまで行ってもらいたい。

 

 

 

ワークの内容と感想

 

ワークの内容はこれ!

 

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今回はケンタさんの話を聞いたが、煽りまくってもなかなか大きな望みが出てこなくてもどかしかった。

ぼくはこういう時、正直イライラしてくる。望みがありすぎるぼくとしては望みが出てこなかったり出てきても小さい望みでしかなかったりするのが理解できなくて、「なんで望みがスッと出てこないんだよ!」とか「もっと大きな望みを持てよ!本当にそれでいいのか!?」とか思って地団駄を踏みたくなってしまう。

 

でもたぶん、ミラクルクエスチョンを使わないといけない人はだいたいこんな感じなんじゃないだろうか。せっかく魔法使いのおばあさんという設定を出しても、1人じゃなかなか大きな望みが出てこない人の方が多いような気がする。

 

そういう人に対しては、今回ぼくがやったように「こんな望みもあるしこんな望みもあるしこんな望みもありますが、どれかいいのありますか?」みたいな質問をしてこっちからうまく引っ張っていく必要があると思う。

 

でも、「豪遊とか女性と付き合うとか世界一周とか……」といろんな望みを提示してるのに、ケンタさんがそれらの望みに全然惹かれないのには驚いた。

 

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微塵もワクワクしていない顔である

 

「おい!ハワイで豪遊して美女と付き合うのは男の夢だろ!!なんでそんなつまんなそうな表情なんだよ!!」とツッコミたくて仕方がなかったが、ケンタさんが惹かれないのなら仕方がないので、「全然楽しそうじゃないじゃないですか(笑)」と言ってケンタさんの口から別の望みを引き出した。今度は「ソレジャナイ顔」を見抜けてよかった。

 

 

今回の反省点は、めんたねさんに指摘された、「ケンタさんが考えてる時にぼくが質問をして思考を遮ってしまう」というやつ。

ワーク以外の時はけっこう気をつけられているつもりなんだけど、ワークは時間が限られてるし多くの人が見てるから空白の時間を少なくしようとついぼくのペースを優先させてしまう。

次からはなるべく相手のペースに合わせて、相手が黙っていたら「助け舟出した方がいいですか? それとももう少し待った方がいいですか?」と聞くようにしようと思った。

 

今回は今までで1番楽しい雰囲気のワークだった。

次はもうちょっとヘビーなのをやりたい!

 

「わからない」と思うための対話 第5回 感想

 

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今回のテーマはこれ!

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ピタッと相手が望んでいることをこっちが言葉に出してあげると、「そうですそうです!」ってすごく嬉しそうに強い肯定的な反応があるじゃないですか。

ニッコリすることもあるしすごい力強く頷く時もあるし反応は色々なんだけど、「それはポジティブだよ」って分かるような反応が返ってくると、「ああこれはだいぶ相手が心の中で思っている望みと近いものなのかもな」って思うわけです。

逆に「はい」って言いながらも、「うーん、なんか違う」みたいな微妙な反応をしている時には、「ひょっとしたらこれはズレている望みなのかもしれないな」っていうことを考えときましょうねということです。

 

このワークショップを受けてから、この「ポジティブな反応を返してもらうこと」に対しての意識がめちゃくちゃ強くなったと思う(前回のワークショップでケンタさんの「コレジャナイ顔」に気がつかなかった姿を見せたばかりだけど笑)。

 

第1回の最初の

 

1.相手の話を正確に理解する

2.自分が相手の話を正しく理解できたことを相手に伝える

どちらが欠けても「共有」はされない

 

この教えが本当に衝撃的で、「理解できたことを相手に伝えよう。そして『そうです!』ってポジティブに言ってもらおう」と強く思った。

 

それから依頼者の方や母と話す時にいつもそれを意識していたら、「そうです!」とポジティブに言ってもらえる回数が増えてきた。これはすごく分かりやすい「コミュニケーションがうまく行っている証」だ。

 

「そうです!」って言ってもらうたびに快感を感じるようになった。これからもどんどん「そうです!」ポイント(?)を集めていきたいと思っている。

 

 

 

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ぼくらは望みがあったら望みに向かって近づいていきたいわけですよ。

ただし多くの悩み相談という形の時には、この望みに横たわる形で何らかの問題や悩みというのが生じるわけです。

で、この悩みと望みというのは裏表の関係にあるわけだよね。望み通りにいけないからそれが問題や悩みなんだと。

ここまで分かったら、じゃあ問題や悩みがもう1回どうなったらいいのということを気にするわけです。そうすると何かしら別の望みになったりします。

ちょっとやってみましょうか。



〜デモンストレーション〜

 

めんたね「何か悩みある?」

ケンタ「三食食べられないのが悩みです」(大元の悩み)

め「じゃあそれがどうなったらいいと思う?」

ケ「三食食べられたらいいと思います」(望み1)

め「なるほど。じゃあそれ、実際にそうしたらいいと思うんだよね。でもそうするにあたってうまくいかないところとか引っかかるところがあるからやれてないんだよね。それってどこなの?何が引っかかってるの?」

ケ「寝坊してしまうんです」(問題1)

め「じゃあそれはできたらどうなったらいいと思う?」

ケ「早起きできたらいいと思います」(望み2)

め「早起きしたいというのが次の望みなんだね。それが望みなら実行したらいいと思うんだけど、実行するにあたってなにか引っかかるところってある?」

ケ「やっぱり寝ていたいんですよね」(問題2)

め「じゃあその問題についてはどうなったらいいと思う?」

ケ「早起きはしてスキマ時間で寝ていたいですかね」(望み3)

め「じゃあそうしたらいいと思うんだけど、それを実行するにあたって何か問題点とか困った点ってある?」

ケ「問題はないですかね。タイマーをセットすれば起きれるので」(問題なし)

 

め「じゃあタイマーをセットして望み3が実現すると問題2が解決して望み2が実現して、望み2が実現するから問題1が解決して望み1が実現するという話になるよね

 

〜デモンストレーション終了〜

 

今みたいにして解けてしまえばそれはそれでいいんですよ。

だけど大体はこんな風に解けない 。

 

この2つの質問を繰り返していると話がぐるぐる回って、話が前に進まなくなるというタイミングが来るんですよ。

そこをぼくは「悩みのへそ」なんて言ってますけど、その人が引っかかっている根っこの部分の悩みなんだということですね。

 

なるほど!

悩みと望みは基本的に1つずつしかないと思っていたけど、確かにこうやって階層化(イメージだけで使ってるから言葉の意味全然違うかもしれない)できるじゃないか!

こうやって段々にしていけば、今回のようにどこかで「この望みに関しては問題がない」と言われる時が来ることがある。そこから逆算的に全ての問題を解決させ望みを叶えていくという手法は鮮やかだなと思った。

 

ぼくは普段、「何が問題ですか?」とはひたすら聞くけど、「それがどうなったらいいと思いますか?」と聞くことは少ない。第2回の感想記事で書いている通り、相手の望みをそれほど重要視していなかったからだ。

依頼の時も、最初に悩み1と望み1を聞いたりそのあと問題2や問題3を聞いたりすることはあっても、望み2や望み3を聞くことは少なかった。これからは望み2や望み3も聞くようにしていきたいと思う。

 

 

 

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1番目はこれまでのワークでやってきたやつだね。現在地点からどこに向かって歩いて行けばいいのかがわからないというタイプの悩み方。

 

 

2番目は、望み自体ははっきりしてるの。さっきの「早起きしたい 」みたいなね。

ただし、休日に早起きしたいという望みはあるけれど同時に他にも別の望みがあって、こっちの望みに行くかあっちの望みに行くかで迷っちゃうんだよね。

で、両方いっぺんに手に入るものならいいんだけど、さっきみたいに「休日に早起きしたい」という望みと「休日にゆっくり寝ていたい」という望みは両立しないよね。

そうするとこれは、「両立不能な複数の望み」を持っていることになる。

そういう時ぼくらの心は、「どっちに行こう?」と迷うことでエネルギーを使い果たしてしまって結局どっちに向かっても動けないということが起こる。

こう言う風に2つの望みで迷うことを葛藤と言ったりしますね。このパターンは結構多いです。

 

 

じゃあ3番目。今度は望みははっきりしているし葛藤もない。

ちなみに葛藤があるかないかっていうのは、望みがはっきりした時に「じゃあその望みが実現したとして何の問題もないですか?」って聞いた時に、「あ、困っちゃう」って思うことがある時はだいたい葛藤なんですよ。

だってこっちの望みが叶っちゃうとこっちの望みが叶わなくなっちゃうから。でも両方欲しいからね。

それに対して「何も問題ないです。ウハウハです」と言うにも関わらず、「じゃあなんでその望みを実現しないのですか?」と聞くと、大体は「どうやったらその望みが実現できるのか分かりません」という答えが返ってくる。これがルート不明のパターンです。やり方が分からない、道が見えないということだね。

アドバイスが通じるのは基本的にこのルート不明パターンだけです。

 

 

4番目。望みははっきりしてます、葛藤もありません、ルートも何をやれば望みに行けるのか分かっています、でも不安なんですいうパターンだね。

不安な人っていうのは、自分で実際にやれるものがあってもやれる気がしない。だから「不安」と「ルート不明」というのはかなりセットで近いんです。不安が強すぎるとルートが無いように見えてくる。

特に試験勉強とかそうだね。試験勉強っていうのはやったら確実に合格するという保証がないんです。でも合格するためには試験勉強しなければいけないというルートが見えてるんですよ。だから歩くしかないんです。ただ歩いても成功しないかもしれないというだけなの。

でも不安が強いタイプの人はそういうの耐えられないんだよね 。

 

悩みのパターン分けなんて考えたことなかった!なるほど、この4つに分類できるのか……!

これは面白い。これから悩みを聞くたびに「どのパターンかな?」と考えてどれかに当てはめることでぼくも相手も敵(悩み)の正体が分かってスッキリすると思う。

 

 

ぼくは「③ルート不明」の悩みを望みに近づけるのが得意だと思う。

「ルートが分からないんです」と言う依頼者に対して、多くの場合「こんなルートやあんなルートがありますよ」と伝えることができる。

 

 

「①悩みが曖昧」はあんまり気にしたことがない。上述のようにルートを教えればとりあえず悩みから離れられて幸せになれるからだ。結果的に「望ましい状態」になればいい。

 

……ただそれはこれまでの考え方であって、今は第2回の感想記事で書いたようにこう思っている。

 

 

だが、「まずは」相手の望みをしっかり聞くことが必要なんだと思う。

何故なら、そうすることでよりはっきりと「味方ポジション」に立つことができて相手に安心してもらえるからだ。

相手の望みに沿わないアドバイスをするとしても、それはまず相手の望みを聞き、それを叶えようと一緒に悩んで(少なくとも悩むフリをして)からでないといけない。

 

 

これからはちゃんと望みをハッキリさせてからルートを見出すようにしたいと思う。それも、これまでは自分で見つけたルートを教えていたけど、そうではなくなるべく相手にルートを見つけさせるようにしないといけない。

 

 

②の両立不可能な望みや葛藤は本当に難しい。

動画をツイートに貼った、「結婚したいが、『自分たちが信じている宗教に彼氏にも入ってもらわないと結婚を認めない』と両親に言われている」という悩み相談(ドッキリだったが)はまさにこれだった。

親との縁は切りたくない、彼氏に宗教に入ってもらうことはできそうにない、宗教の中から彼氏を見つけることもしたくない……と八方塞がりでどうしようもなかった。

こういう場合は「弱い望みを捨ててより強い望みを選ぶ」か、「超頑張る(神がかり的な方法で親を説得する、婚活しまくって宗教に入ってくれそうな稀有な男性を見つけるなど)」かのどちらかしかないと思うんだけど、どちらも負担が大きすぎるので④のパターンに入ってしまう。

(めんたねさんは②が③になることがあるとおっしゃってたけど、ぼくは④にもなるような気がするな……。高性能で安いパソコンはめちゃくちゃ頑張って探せばどこかにはあるかもしれなくて、「頑張って探してもそんなパソコンを見つけられないかもしれない」という「不安」になるんじゃないのかな……違うかな……)

 

 

④の不安がぼくの体感では1番多い。先ほど言ったようにぼくは多くの場合ルートを教えられるし②を④まで持っていくこともできる場合があるけど、④はマジで解決できない。ほとんどの人は不安を持ったまま頑張り続けることができないからだ。

 

どれだけ不安でも頑張るしか選択肢はないとぼくは思うのだけど……。

 

またまた『カイジ』を持ち出してきて申し訳ないのだけど、そしてカイジにこだわっているわけではなく引用したいと思う描写がたまたまカイジにあるから引用しているだけなのだけど、『賭博破戒録カイジ』にこういうシーンがある。

 

 

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ぼくは『カイジ』シリーズの中でこのシーンが1番好きで、依頼者にも毎回「望みに進むのが気持ちのいい人生ってもんだろっ……!!」と言っているんだけど、その時は「そうですよね」と言ってくれても、時が経ったら「やっぱ望みに進むのキツいよ……」と思って望みに向かって進むのをやめてしまう人がほとんどのような気がしている。カイジと違って失敗しても地の底に沈むわけでもないのに……。

 

学校の先生と生徒みたいに長期的に毎日のように会う関係であれば何百回も言えるし行動をサポートすることもできるんだけど、数時間の相談で不安を持っている人に行動力を持ってもらうのはほぼ不可能だと思う。そこにいつも無力感を感じている。

 

 

 

 

あとは見た通り!

 

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ワークは初めて2ステップあるパターンだったからスマホで資料を見ながらじゃないとできなかったけど、割とスムーズにできたような気がする。

 

いや、分かっている。ぼくだって「できた」なんて言いたくない。「わからなかった」と言って褒められたい。

でもできてしまったのだからこう言うより仕方がない……。できてない部分があったら教えてほしい。

 

なので今回のワークでは、動画内で言った、「最初に悩みエピソードを聞くのを忘れていた」「悩みだと思っていたものがケンタさんに質問されるうちに悩みじゃないと分かって楽になった」以外の感想が浮かばない……。

 

まぁこういうこともある!終わり!

 

「わからない」と思うための対話 第4回 感想

 

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今回のテーマはこれ!

 

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否定形で望みを語るとマイナスの方向に引っ張られる

 

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無意識には、肯定形と否定形の区別ができないっていうところがあるんです。

「緑色のサンタクロースを想像しないでください」って言われても、人は緑色のサンタクロースを想像してしまうんですよね。

この「想像しないで」という言葉の「しない」っていう否定の部分はあまり関係しないんです、無意識には。「緑色のサンタクロース」っていう単語が出た瞬間に頭の中には思い浮かんでしまう。


初めて聞く話だった。そんなバカなと思いたいけど、無意識の力というのは侮れない。

意識と無意識のバランスを表現するのに、この氷山の絵がよく使われる。

 

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(イラストACからのダウンロード)

 

ぼくたちは普段海上(意識)の部分しか見えておらずそれが全てだと思っているが、実は海中には海上よりも遥かに大きい無意識が存在しているのだ。

 

どれだけ意志を強く持ったところでこの無意識には絶対に勝てないので、無意識がどう感じるのかということを学習し自覚しておくことがすごく大事らしい。

 

だから、「そんなバカな。意識的には肯定形と否定形を区別できてるから大丈夫だよ」と簡単に考えたらいけないのだ。

 

 

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ビルの間に掛けた、幅1メートル、長さ30メートルの板の上を歩くのを想像してください。風が吹いてなくても、結構な確率で落ちる人が出るんですよね、たぶん。

 

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なんでかって言うと、やっぱりこういうところに立ったら、落ちることを考えちゃうんだよね。

 

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落ちることを考えて頭の中でそのイメージができると、体がそっちに引っ張られていっちゃうんですよ。

 

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人間というのは、無意識でイメージしたものにどうしても寄って行ってしまうところがあります。

反面教師ってあるでしょ。「絶対にこういう風にならないにしよう」っていうやつ。反面教師ってけっこう危ないんだよね。「ならないようにしようならないようにしよう」って思うんだけど、イメージしてしまうのは「なってはいけない」っていう姿をイメージしているから、気が付くとそっちに寄って行ってしまうっていうのは十分にある。

 

なるほど……。

毒親に育てられた人は大人になった時自分自身も毒親になってしまいがちになる」っていう話を聞いたことがあるけど、それもこういうことなんだろうか。

 ぼくは「こういう風になりたい!」って思える人たち(親以外にも先生など)に育ててもらったから、すごく幸運だった。

 

 

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だから、望みは否定形ではなくなるべく肯定形で語ってもらった方がいいんです。

否定の形の望みっていうのは、たぶん悩みに not をつけて否定しただけで、あんまり望みになっていないんですよね。悩みが深い人ほど否定のついた形で望みが語られやすい。

 

なるほど! つまり「落ちないようにしよう」とかではなく、こういう風に言った方がいいのか!

 

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(すみません、カイジで遊びすぎました。

上記4枚の漫画は全部『賭博黙示録カイジ』7巻からの引用です。

賭博黙示録 カイジ 7 | 福本 伸行 | マンガ | Kindleストア | Amazon

 

 

 

 

本人の口から語ってもらうためにあの手この手を使う

 

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この「肯定形の望み」っていうのは、なるべくなら本人の口から語ってもらいたいんだよね。

「こういうことなの?」て聞いてみてあげるっていうのは優しいアプローチなんだけど、できればそれは最後にとっておいてもらいたいんです。

なんでかって言うと、人間って「自分で答えなければならない」って思うと、話すために考えるんですよ。

自分の頭の中でその イメージを具体的に作ってもらった時に、そっちに向かって人は動いていくわけだから、肯定的な望みのイメージを相手が自分自身で考えて頭の中で思い浮かべるように話をしたい。

 

本人の口から語ってもらった方がいい理由の2つ目は、こっちが「こういうこと?」って聞くと、それに対して「人に押し付けられたもの」って感じて、どこか「自分の問題じゃない」とか「半分否定する」みたいなことをしてしまうっていうのもあります。

でも自分自身で考えたものっていうのは、人から押し付けられたものじゃないから否定ができない。

だから、質問ワークで質問っていう形にどうして極力こだわるのかって言うと、こっちから提案やアドバイスをするよりも質問した相手が答えを出してくれた方が自分自身で思いついたいいアイディアとして大事に取っておいてもらえるからです。そうすると影響力が大きくなります。

こっちが言わなきゃいけないのは、最後の手段です。

 

「話すために考える」というのはすごくよく分かる。

自分の中ではしっかり考えられてると思っていることでも質問されて答えようとすると全然上手く言えないことがあって、それでも話すために頑張って言葉にしていくと、「ああ、自分は本当はこう考えていたのか!」と気づくことができるのだ。

 

「他人に出してもらった答えは押し付けられたように感じてしまう」というのもよく分かる。

望みとは違うけど、他人から教えられた「バズる方法」はものすごく取り入れがたい。自分で考え出したアイディアじゃないからそんなに良さそうに思えないし、そのまま取り入れたらなんか負けのような気がしてしまう(そんな姿勢は良くないとは思っている)。

 

 

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ここですごい固まっちゃう人っていうのは、悩みのイメージは強く持ってるけど望みのイメージが持ててない、悩みが深い状態なんだなっていうのが、話を聞いてて分かるわけです。

 

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相手の口から望みがあまりにも出てこなかったら、ちょっと助け舟というかヒントを出すんだけど、そっくりそのまま相手が言いそうなことを言ってバチっと当たってしまうと、せっかくの望みのイメージなのに人から言われたものになっちゃうじゃん。これが嫌なんだよね。できたらその人の望みはその人に語って欲しい。

そこで、わざと微妙なトーンでその人の望みとちょっとズレてそうなことを混ぜてみたりとか、極端に全然違ってそうなことを言ったりとか、「わざと間違える」っていう技を使ったりします。

 

悩みが深い人も自分の望みと違うことを言われると、「それじゃない!」っていうことは感じるんだよ。

「これじゃない!」って言ってくれたら、「あぁ、違うんだ。じゃあどんなのなの?」って目の前の違うものの違和感がどこにあるのかを聞き出して、「これはこうなんだ」っていう風に初めて肯定的な形で言いやすくなったりするっていうのがあります。

 

もちろん、「この人分かってないじゃん」って思われるリスクもあります。だから間違え方の度合いを上手く調整して、微妙なズレで収めておくんです。

 

あと、それまでの実績も重要です。

それまでに「この人はずいぶん自分の話をよく分かって聞いてくれてるな」という実績があった上でちょっとズレた時には、相手の方も「これは自分の説明の仕方がよくないのかな、難しいのかな」と思ったりして、必ずしもこちらとの関係を否定しにかかるとは限らないですから。今までの関係が重要なんです。

 

後は物言いなんだよね。

つまり間違えたい時には、「よく分かんない」っていう顔をしながら聞くと言いわけ。

「え。これってこういうことなの?」っていう風に聞くと、「不安で分からないです。本当にこれでいいの?」っていう雰囲気で聞いてるから、「いやいや、そうじゃないんだ」って言われた時に「あーそうだよね!」っていう顔をしておけば、そんなに大外しした感じにはならないよね。

 

これはマクドナルド理論と同じ話なんだろうか?

みんなが「どこでもいいよ」と行ってどこに食べに行くか決まらない時、「じゃあマクドナルドは?」とあえてあり得にくい選択肢を出すことで「いやマクドナルドはいやだ!ラーメンがいい」という風に本当に行きたいところを聞き出すという、あれだ。

 

確かに「こうしたい!」っていうのはなかなか言いにくいけど、「こうはしたくない!」「そうじゃない!」というのは言いやすい気がする。

 

自分の望みと80%ぐらい近いことを言われたら「ちょっと違うけどまぁいいか……」と思って何も言わずに「そうです」って言ってしまいそうだし、あえて40%とか外れたことを言って「いやそうじゃないんです」と90~100%の答えを引き出すというのは確かに上手い手なのかもしれない。

 

ただこれはやっぱり相当難しそうだ。

関係性を構築した上で表情にも気をつけなければならないなんてハードすぎる。失敗が許されるワーク以外では当面はやらないようにしよう。

 

 

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「あなたはこういうことを望んでるの?」という物言いではなくて、この資料のように聞くというやり方があります。

 

この聞き方では、AやBやCの部分がさりげなくアドバイスや提案に実はなってるんですよ。

でも「押し付けられた」って気はあんまりしないんだよね。ただの「こういう人がいるよね」っていう具体例だから。

そうすることで提案やアドバイスをしても反発されにくいし、場合によっては自分で考えたことになる。なぜなら自分で選んでるから。

「選ぶ」っていうステップが入っただけでも、だいぶ自分の判断になってるわけです。

「いかに自分で選び取って考えたと思ってもらうか」っていう演出の技術 っていうのは結構大事です。

 

なんか詐欺師のテクニックみたいだ……。

実際、悪い人もこのテクニックはかなり使ってるんだろうな。こんな風に。

 

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ダメだ、どうしてもカイジが出てきてしまう……!

この3枚は『賭博黙示録カイジ』10巻からの引用です。

賭博黙示録 カイジ 10 | 福本 伸行 | マンガ | Kindleストア | Amazon

 

 

 

 

 

言葉の定義は人によって違う

 

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この「木」っていう言葉には、実際に指し示す「その辺に生えてる木」っていうのがあるじゃないですか。

「実物があって」、「この言葉がその実物を指し示す」というのがワンセットになって記号として成立している。

 

聞いたことない話だけど、言われてみれば確かにそうだな。

 

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ぼくの箱の中身は一般的な人の箱とだいぶ違うらしい。

言葉は正しく使おうといつも気をつけてるんだけどな……。

 

 

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相手が使っている言葉、ラベルの貼ってある箱の内容がなんなのかということをちゃんと把握しながら共有して会話をするということです。

 

人と会話してて、「この人はこの言葉のをぼくがイメージしてるものとは違う意味で使ってるんじゃないか……?」って思ったことがあんまりないんだよな……。だからこのテーマはあんまりピンとこない……(今のところなかなか重要だと思えない)。

 

……と思ったけど、あった!フェミニストの人との会話だ!

以前あるツイートをしたら「それはセカンドレイプですよ」ってフェミニストの人からリプライされたんだけど、セカンドレイプという単語を検索してみたらぼくの言動はその定義に当てはまっていないようだったから「セカンドレイプの意味を勘違いされていませんか? なんでぼくの言動を問題だと思ったのでしょう?」って聞いたら、「『なんで人を殺しちゃダメなんですか?』みたいな質問しないでください!セカンドレイプをしちゃいけないなんて当たり前じゃないですか!シーライオニングお断り!」って言って逃げられたんだ。

今思い出してもムカつく。人を批判する時は言葉の意味ぐらいちゃんと理解してから正しく批判してほしい。

 

 

 

話し手の言葉の定義を知る方法

 

資料を見ればほぼ分かるので説明は省略!

 

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おやつであるものとおやつでないものの間に引かれた境界線の形、これが「おやつ」ってことだよねと、そんな風な考え方をするわけ。

 

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時間がなかったりする時はいきなり「その言葉の定義は?」って聞くのもアリだけど、基本的にはこの資料に書いてあるような聞き方をした方がいいらしい。

確かにそうした方が境界線がよりくっきり見えるけど、正直、ワーク以外でこういう聞き方をして嫌がらずに素直に答えてもらえるイメージが浮かばないかも……。

ワークででさえ、「頭のいい人って具体的には誰?他には?」って聞かれたのけっこう負担だったからな……。

 

 

 

 

 

ワークの感想と反省

 

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・ぼくは言葉の定義にけっこう厳しい人だと思ってたけど、質問されまくってみるとどれだけいい加減な定義で言葉を使っていたかが分かった。

 

確かに「頭がいい」にもいろんな種類があるし、「ピンとこなかった」は普段は「よく分からなかった」って意味で使うけど、あの時は「重要だと思えなかった」という意味で使っていた。

 

言葉の定義を聞かずにこのズレを放置しておくと、めんたねさんはもしかしたら「俺の授業よく分かんなかったか……」と落ち込んでいたかもしれない。

 

というか、こういうことは確かに思い返せばけっこうある気がする。

姉と母がケンカしてぼくが間に入った時も、母が使った言葉を姉が変に悪い意味に捉えたせいでめちゃくちゃ傷ついていて、「お母さんはこういう意味で言ったらしいよ」って伝えたら急に機嫌が良くなったということがあった。

 

定義のズレなんていうつまらないことで不幸が起きるのはもったいない。ちょっとでも違和感を感じたらすぐに聞いた方がいいと思った。




・ケンタさんの話を聞く時に悩みを掘り下げなかった。

 

はじめにこういうやりとりがあった。

 

ケ「仕事に関して、なんかこのままじゃいけないなっていうのをなんかもやっとしています」 

 

レ「そうなんですね。具体的に1つエピソードを教えて欲しいです」

 

ケ「うーんと、具体的に言うと……そうですね。多分、整骨院一本でやっていくのがちょっと違う気がする。なんか仕事の幅を広げたいというか」

 

レ「これってどうエピソードにすればいいんだ……?

まぁ、じゃあ、えっと、仕事の幅を広げたいと言うのが悩みなんですね。じゃあどうなったらいいなって思いますか? 今の状態がどうなったらいいなって言う風に思いますかね?」

 

 

「仕事の幅を広げたいというのが悩みなんですね」と言っているが、「仕事の幅を広げたい」というのは望みである。間違えた……!

後でめんたねさんがやってみせてくださったように悩みをもっとちゃんと掘り下げていれば、望みをもっとスルスルと引き出せたかもしれない。

 

 

 

・ケンタさんの「コレジャナイ」顔に気がつかなかった

 

ワークの最中はケンタさんの表情の異変に全然気がつかず「よし!望みを引き出せたぞ!」と思っていたが、後から見返してみたら最後のケンタさんの顔はどーーー見ても「コレジャナイんだよなぁ……」と言っている。なんでこんなに分かりやすい表情をしているのに気がつかなかったんだ!アホか!

 

「時間内に終わらせなきゃ!」と焦っていたとは言えこれはひどい。カウンセラーに相談してこういう風にされたら「あ、この人無能だな」と思って心を閉ざしてしまうだろう。本当に良くない。

 

 

望みエピソードを聞く時に「YouTubeやりたいんでしょ」みたいに誘導してしまったこともそうだけど、すごく焦ってしまう。

 

めんたねさんは

 

「久保くんが焦る必要はないんだよ。けんたくんの問題だから。『俺の問題じゃないし』って切っておく」

 

とおっしゃってたけど、ぼくはそうやって「切る」ことがだいぶ苦手なんだと思う。相手と一緒に悩み苦しむということを第一に考えてきたから、めんたねさんに教えられている間は切り離そうと頭では思っていてもなかなかできない。

 

でもコレジャナイ顔(or声)に気がつかないとか誘導するとか、時間制限がない時はやってる記憶がないんだけどなぁ……。気がついてないだけでやってるのかな……分からない……。

 

 

・相手に興味を持つ技術を身に付けたい。

 

最後の北村さんの質問とめんたねさんの答えが興味深かった。

 

北村「いかに相手の話に興味を持つかと言うのが最大の課題なんだなと思いました。一番大事な主軸の部分は、いかに相手の話を興味をキープしながら聴き続けられるかってところに尽きるなとすごく思いました」

 

めんたね「興味が切れたらアウトなんだよね。興味を持つのも技術だと思ってるから、ぼくは。

今やってる聞き方っていうのも興味を持つための1つの工夫だよね。

「悩みと望みを知ろうとする」っていうお題、テーマを作るだけでちょっと興味を持ちやすくなるでしょ?

「相手の言葉がちゃんと自分のイメージしてるものと一致してるのかな?」って気になれば少し興味を持ちやすくなるでしょ?

だから興味を持ちやすくなるためのポイントをなるべく伝えてるって感じ」


「興味を持つのも技術」というのは名言だなと思った。興味なんて知識と人間性だけだと思ってたけど、技術も関係してくるとは!!


ぼくはお気に入りのバーでよく孤独になる。自分が全然知らない話をみんながしていると全く興味がなくなって輪に入れなくなるからだ。1時間黙って過ごしてみてもやっぱり輪に入れなさそうだと思って帰るなんてことがザラにある。

 

どうやっても興味を持てないんだから仕方ないかと諦めてたけど、技術の問題であれば諦めなくて済むかもしれない。色んな技術を身に付けて、興味を持てる幅を増やしていきたい。

 

 

「わからない」と思うための対話 第3回 感想

 

動画はこちらから!

 

www.youtube.com

 

今回のテーマはこれ!

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エピソードで具体的に望みを語ってもらう。これが上手くできると、その望みは解決に自然と近づいていきやすいタイプの望みになります。

また、本人が勝手にその望みを知って自分で問題を解決してくれる可能性もあります。

 

初めて聞く話だ。

 

 

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2つのエピソードからどのような 意味を読み込むのかには、個人の主観がだいぶ入ります。

「実際に何月何日何時にどこどこでこんなことがありました」という下段の方がエピソード。

エピソードをまとめて「こうこうこういうことがいつも起きてますよ」というのが語られる上段の方をレポートと言います。

  

なるほど。

 

 

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左側の事実の部分は人によって大きく変わらない。でも右側の、「どういう意味をそこに付けるか」というのはその人個人の主観的な解釈というのがたくさん乗ってくるんです。

 

言われてみれば確かにそうだ。

本当は親切にされていただけなのに「酷いことをされた!」と憤慨しているような人はよく見る。

 

 

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話を聞く時にいきなりレポートだけ聞いてると主観的な解釈がたくさん混じってくるので何が起きているのかよく分からないんですよね。

まず実際にあったエピソードをしっかり聞いて、事実として何があったのかということを追っていくと、そこは解釈の余地が少なくて割と同じ形で共有しやすいわけです。

ただし話してる側と聴く側とでこの事実に対する解釈の仕方、意味の当て方っていうのは多分だいぶ違うんです。それが「違っている」っていうことを認識しながら話を進めていきます。

 

確かに事実に対する解釈の仕方は人によって全く違う。

聞き手側が「これは嬉しい話なんだな」と思っても、話し手側は悲しいエピソードとして話しているかもしれない。自分がした解釈が相手と同じだと思い込むのは危険だ。

 

 

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人間は「実際に具体的にこんなことが起きてますよね」ってイメージできる方向に動いていきやすいんです。

レポートってすごく曖昧で漠然としたものなんだよね。実際のイメージが持ちにくい。

例えばダンスをやっている時に「目の前でこんな風に踊るんだよ」って踊って見せてくれる人がいると、その真似をすればいいじゃないですか。そうすればすごく踊りやすい。

レポートの形だとぼんやりしているからよく分からなかったりするので、頭の中に「どういう風に動けばいいのか」とか「どういうふうになるのが理想な状態なのか」っていうイメージを持って、それを実際に実現すればいいわけです。

 

これはなるほどと思った。

アドバイスする側の時、「こういう風に考えたらきっといい感じになりますよ」と言っても相手があまり納得していないことがある。

今思えば、悩みが解決した時の状態を具体的にイメージできていなかったせいでしっくり来ていなかったのかもしれない。ビジョンが具体的に見えていなければ希望が持てないし、第一歩目をどう踏み出していいか分からない。

 

 

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じゃあどうやってなるべくエピソードレベルで具体的な形でイメージが見えるようにして望みを語ってもらうかっていうと、悩みが深い時ほど大体左下の「悩みレポート」からスタートします。悩みで困っているんだけど、具体的な事例よりかは「いつもこうなんだ」とか「いつもああなんだ」とかいう話に持って行きます。

 

さっきの久保さんの話に当てはめると、「ぼくはいつもみんなに分かってもらえない」っていう悩みは左下だよね。で、その状態で問題解決するというのはすごく難しい。

そこで、「具体的にじゃあ最近どんな困ったことがあったんですか?」って言うことで「セクハラメンタルと言われた」とかいうエピソードが出てきた。

で、少なくとも「いつもぼくは誤解されるんです」という話よりは「セクハラメンタルってすって言われたんです」っていう話の方が聞く側も共有しやすいよね。「いつも誤解されるんです」っていうのが何をイメージしているのか分からないから。

 

で、最終的にはこの右上の「望みエピソード」の具体的なレベルで語ってもらえるとすごく分かりやすくていいんだけど、いきなり左下から右上に行けないんです。

だから「右下→右上」の下回りで行くか、「左上→右上」の上回りで行くか2種類ルートがあるんです。

これ、どっちで行く方が 右上に来やすいかって言うと、今までの僕の経験上で言うと「下回り」なんだ。

悩みの時点でエピソードを聞いてしまって、それから「じゃあその実際にあった出来事が本当だったらどういうふうに行ったらいいと思うの?」って聞くと、割と具体的な形で望みが語られる。それはその人を動かす材料やエネルギーになりやすい。

 

なので今日は、この「右下→右上」っていう流れで動いていく練習をしようと思っています。

 

聞いたこともない単語や話でなかなかスッと頭に入っていかないけど、すごく大事な話だと思う。

今までの相談では「悩みをなんとなく解決していく」という漠然としたことしか考えていなかったからどこに向かっているか分からず不安だったけど、こうして図を明確に頭に思い浮かべることができれば、地図を持っているような安心感が持てる。この図はめちゃくちゃありがたい。

 

 

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悩みが深い人ほどレポートで語ります。

じゃあどういう風に聞いていけばいいかというと、こういう風に聞くと良いと思います。

 

上手に加減を考えて聞かないと責められているように感じてしまうかもしれないなと思った。

 

 

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中には、悩みが将来に向けての不安っていうケースがあるんですよ。今何かが起きているわけじゃないけどこの先何かまずい事が起こるんじゃないかって不安になっちゃう。

このケースの時ってエピソードがなくて、エピソードがないから実は解決もしにくいんですよ。

それでもなるべく望みを具体的なエピソードレベルで語って欲しいので、よく聞くのは、

「じゃあもしあなたが映画監督になってその理想通りのウハウハな状態っていうワンシーンを映画で撮るとしたら、それはどういうシーンになるのですか?」

というものです。

そうすると、「単に幸せになりたいんです。幸せになりたいのになれないんです」って言っていた人が、「1ヶ月間ハワイで楽しそうに過ごしています」みたいな、そういう具体的な望みエピソードが語られたりします。

この映像として語ってもらうっていうのは困った時に結構使えます

 

言葉だけじゃなくて映像でイメージすると、具体的に考えられるし希望が持てるしいいなと思った。

 

 

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こういうワークをやってみましょう。

 

 

ワークをやってみての感想

 

 

・エピソードレベルに落とし込むのは難しい

 

資料を見た時は簡単そうに思ったが、実際にやってみるとどれだけ難しいかがよく分かった。聞き手側も質問に苦戦していたし、話し手側もついレポートを話してしまったり別のエピソードを話してしまったりしてしまっていた。

 

ぼく達がいかに普段レポートで会話しているかということなんだと思う。おそらくほとんどの人は一点にスポットライトを当てる経験に慣れていない。

 

 

・エピソードを思い出すのは難しい

 

話し手側がちゃんと一点にスポットライトを当てることができても、記憶力の問題が生じてしまう。

ぼくは前日の記憶なのに上手く整理して話せなかったし、細かいところや重大なところが抜け落ちてしまっていた。

人の記憶はこれだけあやふやなんだから、都合良く(もしくは都合悪く)改変しているケースはめちゃくちゃあるだろうなと思った。

つまり、悩みレポートだけではなく悩みエピソードも全然信用ならないということだ。相手が話した悩みエピソードにはバイアスがかかっているかもしれないと疑いつつ、表面的には信じているように振る舞わなければいけない。

 

思えばこれまでも、「相手が言っていることが全然違うと思っていても嘘で『そうだね』と言う」みたいな教えが結構あった。上手な聞き手になるというのは上手な嘘つきになるということなのかもしれない。

 

しかし、基本的には「嘘つきですよ」ということをバラしてはいけないだろう。

となれば、ぼくは今このブログを書いていて大丈夫なのだろうかと不安になる。

手の内を晒しまくっているせいで、「レンタル話し相手さんすごい共感してくれてるけど、これってワークでそう言われてるからやってるだけで本当は全然共感してないのかもしれないのよね」なんて思われるかもしれない。いつか全部削除するかもしれない。

 

 

・思い出せないところこそ重要

 

思い出せないところはすごく重要なんですよ。

ずっと語っている中でそこの記憶だけがスポンと抜けているっていうのは、何かその人にとってすごく受け入れがたいものだったり飲み込みがたいことだったり、何か難しい重要なものが隠れているポイントであるということがあります。

だから話を聞く側としては、「ここは記憶が抜け落ちるんだ」とか「この辺になると急に話が曖昧なるんだね」っていうのを把握しながら話を聞くことになります。

 

重要な思い出ならちゃんと記憶に残っていると思っていたので、忘れているところこそ重要かもしれないという話は意外だった。

確かにぼくも入院や浪人などかなり辛かった時の記憶はほとんどないし、本当に嫌な記憶は意図的に忘れていくのかもしれない。

 

そういう部分を見つけると聞き手側は「ここが重要なのかも!」と思ってつい粘り強く聞きたくなってしまうが、どれぐらいしつこく聞くかという加減は極めて難しいと思う。

ワークだったからぼくは北村さんに何度も質問したけど、ワークを知らない普通の人にあんなことをやったら、「だから具体的な記憶なんて忘れてるわよ!『いつもこうだった』でいいじゃない!しつこいわね!!」とキレられているに違いない。

 

ここでも「解決病」を発症しない我慢が求められる。「解決するのは基本的に自分ではなく相手である」と心から思えていないと難しいだろうなと思った。

 

「わからない」と思うための対話 第2回 感想

 

めんたねさんのワークショップの第2回が終わった。

笑う場面が多く表面的には和やかなワークショップだったように見えたと思うが、ぼくは実は心の中でかなり色んな思いが渦巻いており、終わった後もずっと頭がぐるぐるしていた。

 

どんなことを感じ考えたのか、詳細に書いていく。

 

 

動画はこちらからどうぞ。

 

www.youtube.com

 

 

※1.資料の転載許可はめんたねさんから頂いている。

 

※2.

 こういう風に 

 

小さく薄い文字で書かれているのはめんたねさんの言葉の引用である。

 

※3.この記事でぼくは、自分の話の聞き方について、「これはできなかった」という反省とともに「ここはできたと思う」という肯定的な分析結果も憚らずに書いている。なぜかというと、反省だけ書くのはフェアではないからだ。

自分のことを肯定だけするのはバランスに欠けているが、同時に、否定だけするのも同じくらいバランスに欠けている。両方率直に書くべきだと思う。

 

本当は客観的な評価も書きたいのだけど、ほとんど主観的な分析結果しか書けない。なぜなら、ワークショップに関わっている3人以外は誰も何も言ってくれないからだ(泣)

 

 

こうツイートしたのに、リプライでもDMでも1つの意見ももらえない……。

 

だからほぼ主観的な判断しか書けないが、もしこれを読んで「それは違うぞ!」と思うところがあったら、肯定的なことでも否定的なことでもなんでもいいから教えて頂けると嬉しい。

 

 

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ワークショップの流れ

 

簡単に流れをおさらいすると、

 

1.北村さんの悩みを、ぼくが普段やっているやり方で聞く

2.今回のワークショップで学ぶやり方をめんたねさんがぼく達に教える

3.めんたねさんがそのやり方を実践して北村さんの話を聞く

4.そのやり方を各自がローテーションで真似してフィードバックをもらう

 

という感じだった。

 

 

 

相手の望みを重要視していなかった

 

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これからやるのは質問ワークというものになります。
主に質問だけ使って相手の話を聞くというものです。

目的は何かって言うと、相談をする人、話し手側の人が何を悩みとしていて何を望みとしているのかっていう、悩みと望みを共有することです。

(悩みと望みは)裏表の構造になっていることが分かるので、悩みを聞いてから望みを聞くという流れになります。

 

第1回の時の衝撃が再び走った。「ごく当たり前のことを言語化してルールに設定していなかった!」というやつだ。

 

考えてみれば本当に当たり前のことじゃないか。スタートとゴールをはっきりさせずにどうやって相談に乗るというのか。

 

「何を悩みとしているか」に関しては、ぼくは必ず聞くようにしている。第1回の感想の繰り返しになるが、回数は少ないものの、相手の話を聴き終わった後に「つまり〜っていうのが辛いってことなんですかね?」と質問することは徹底しているつもりだ。

 

ただ、「何を望みとしているか」についてちゃんと聞かなければという意識に関してはあまりなかった。

 

今回のワークではたまたま「北村さんは今のその気持ちをどうしたいんですかね?」と質問できていたけど(一応伝えておくと、ぼくは北村さんの話を聞く前に資料は一切見ていない)、今までの相談依頼を思い返したらそういう質問をできていないことの方が多かった。相手の望みを聞かないままアドバイスをしていたのだ。

 

なんでそんなことをしていたんだろう? というのがなかなか分からなかったんだけど、随分長い時間考えたところ、ようやく分かった。

 

ぼくは、「相手の望み」はそんなに重要なものではないと思っていたからだ。

 

とんでもないことを言ってるように聞こえるだろうけど、これにはぼくなりの考えがあるので説明させてほしい。

 

その考えとは、「必ずしも相手の望みを叶えるのが解決ではない。解決策はその人の望みとは全く関係ないところにある場合が往々にしてある」というものだ。

 

どういうことか、例を挙げよう。ぼくが相談する側だった時の話だ。

 

ぼくは会社を辞めた後しばらくは、レンタル話し相手などやらずにいきなり学校を創ろうと考えていた。投資家に投資をしてもらえばいいと思ったのである。

 

ぼくはある人に「投資家から300万円投資してもらうにはどうすればいいですかね?」と相談したら、その人はその方法を色々と教えてくれた後でこう言った。

 

「まぁでも本当のことを言うと、今の君は投資を狙ってもまず上手くいかないから、まずは自分でお金を稼ぐ方法を考えた方がいいと思うけどね」

 

正直ぼくは、「この人は何を言ってるんだ?」と思った。

ぼくの望みは投資をしてもらうことなんだからそれだけ教えてくれればいいんだよ。難しいことは分かってるけど、自分でお金を稼ぐなんて絶対やりたくないから相談に来てるんじゃないか、と。

 

だけど、どうしてそんなことを言ったのかが知りたくて質問をしたらその人は理由を親切に色々と教えてくれ、ぼくは一瞬で考えが変わった。

 

「何の実績もない奴がいきなり投資してもらうなんておこがましいにもほどがあるわ!お金は自分で稼がないとダメに決まってるだろ。自分はバカか!」

 

つまり、「自分の望み」とは全然関係ない視点のアドバイスが役に立ったのである。

 

こういうことはぼくが相談する側の時に他にもいくつもあったし、相談に乗る側の時も同様だった。むしろ望みに沿ったアドバイスが役に立ったことの方が少ないような気がする。

 

 

エンゼルバンクドラゴン桜外伝ー』という漫画に、こんなシーンがある。

 

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2巻の15話より引用。

↓の「スキマ」というサービスなら1話65円で読めます。

https://www.sukima.me/book/title/angelbank/

 

 

ぼくはまさにこういう考えを持っていたので、相手の望みを正確に知ろうという意識が希薄だったのだ。

 

 

だけど今回のワークショップを受けて、その意識は改めなければといけないと強く思った。

 

「相手の意見を無視した提案をすること」が間違っているという訳ではない。めんたねさんも「これ(実現不可能な望みなど)を何か少しずつ正そうとか思った時にはもう少し戦略的に考えて作戦を立てなきゃいけない」とおっしゃっていたように、そうすることが必要な場面はたくさんあるだろう。

 

だが、「まずは」相手の望みをしっかり聞くことが必要なんだと思う。

何故なら、そうすることでよりはっきりと「味方ポジション」に立つことができて相手に安心してもらえるからだ。

相手の望みに沿わないアドバイスをするとしても、それはまず相手の望みを聞き、それを叶えようと一緒に悩んで(少なくとも悩むフリをして)からでないといけない。

  

そのことを学べたのが非常に大きな収穫だった。

 

 

 

 

さて、ここでお伝えしなければならないことがある。

第1回は基本的に、ここまでのような感じで「こういうことを教えられて新鮮だった。こういう反省をした」みたいな話をしてきたし、ワークを受ける前までは第2回もほぼそういう感じにするつもりだったのだが、ここからは全然違う感じの話になるということだ。

 

理由を一言で言うと、「今回のワークショップの大部分の教えが、自分で元々考えていたことだったから」である。

 

こんなことを言うとまた傲慢だとか失礼だとか思われてしまうかもしれないが、事実そうであったし、ぼくの書きたいことを書くためには率直に言うしかないのでどうか勘弁して欲しい。

 

 

ワークショップの感想というよりはほぼぼくのエピソードトークみたいになってしまったが、どうしても書きたかった。読みたかったものとは違っていて不満に思われる方がいるかもしれない。そうであったら申し訳ない。

 

かなり長いし、つまらないと思ったら途中で遠慮なく読むのをやめて欲しい。

 

 

 

 

教えに心から共感した

 

まず似た内容の資料と説明を3つ連続で引用し、その後でぼくの感じたことなどを書いていく。

 

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最終的にアドバイスをするとか提案するとか何をするにしても、相談された人から「この人は自分の味方であって自分の望みに協力してくれる存在である」という風に思ってもらわないと、心の距離ができてしまって影響力が持てなくなってしまう。

まず、「この人は自分の味方なんだな。自分が望んでることを何か実現する協力をしようとしてくれてるんだな」と思ってもらう。

そういう風に「相手の味方ポジションに入る」っていうのが、質問だけ使って相手の話を聞く目的の2番目です。

だから、

1.相手の悩みと望みをきちんと共有し

2.味方ポジションに入る 

この2つの目的を達成できればまずOK とする。問題解決はその先の話。

 

 

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「こういう風に考えたらどうですか?」とか「ああしたらどうですか?」みたいなのを極力使わないということ。 

僕らは「解決病」という病気にかかっていて、人から悩みを相談されると、「とにかく何かしら問題解決につながるようなことを言ってやらなきゃいけない!」というような脅迫観念に囚われるんですよ。

 

(久保:めちゃくちゃ分かります)

  

 

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中には相談を聞いていると、「お前それは無理だろう」とか「何を言ってるんだ」とか「そんな夢物語を語ってどうするんだ」みたいな説教をしてやりたくなることがあるわけですよ。

でもそれをやってしまうと、相手は「この人は自分の味方だ」と思わなくなって味方ポジションから外れてしまうわけだよね。そうすると言葉の影響力が失われちゃうわけです。

だから影響力を確保しておくために、それがどんなに支離滅裂だったり実現不能だと感じられたりやばい事実誤認でしょうと思っても、とりあえず「そう思ってるんですね」という風にまずは否定せずに受け入れておく。

これを何か少しずつ正そうとか思った時には、もう少し戦略的に考えて作戦を立てなきゃいけないんだ。

 

ぼくはこれらの話を聞いて思った。

 

 

 

「ホンッットそれな!!!!」

 

 

 

本当にどれだけ強く共感したか分からない。

ぼくはまさにこれらのルールが大事であるとずーーっと考えていた。

 

 

ぼくは自分が抱えている悩みを解決したいという意志が強いので、相談をする機会が非常に多い。

 

「大学中退を親に猛反対されてるんだけど、どうすればいいかな?」

「どうやったら会社で働くモチベーションが持てるのでしょうか?」

「友達を怒らせちゃったんだけど、どうしたら良かったのかな?」

 

そういう時、必ずと言って良いほど一言目でこう言われるのだ。

 

 

「バカだなぁ。こうした方がいいよ」

 

 

誇張でなく8〜9割ぐらいの人がこう言ってくるのだ。ぼくは本当に本当にこれが嫌だった。

 

「こっちは勇気を出して心を開いて相談してるのに、なんでいきなり否定とアドバイスをしてくるんだよ。まずは『それは辛いね』って寄り添ってくれよ。そりゃぼくもバカで見えてない部分はあるんだろうから指摘もアドバイスも欲しいんだけどさ、そういうのはぼくの傷を癒してくれてからでいいじゃんか。孤独で辛いのに冷淡に殴ってこないでくれよ。こっちは既にボロボロなんだよ」

 

でもそんなことは言えない。なぜって、相手は善意で時間を割いて相談に乗ってくれているからだ。その善意にさらなる注文をつけることはできない。

 

だからぼくはグッと気持ちを押し殺して、「なるほど……」と言う。

でもアドバイスに一発で納得できることは少ないから、「でも〜〜〜だからそれは難しいような気がするんだよね」というようなことを控え目に言うと、「せっかくアドバイスしてあげてるのに頑固だなぁ……」みたいなことを不満そうに言われるのだ。

結局、ぼくの悩みは解決しないどころか、相談する前よりもっと辛く寂しい気持ちになっているという散々な結果に終わる。

 

これが相談ならまだいい。ぼくが「アドバイスが欲しい」とお願いしているのだから。

だが、愚痴の時もこれをやってくる人がいる。「いる」というか、これも8〜9割の人がそうだ。

 

ぼくはただ「それは辛かったね」って言って欲しいだけなのに、一切の共感なくいきなり「それは久保が悪いよ。こうした方が良かったと思うよ」と言ってくるのだ。

 

 

ぼくが相談を多くするようになったのは大学生になってからなのだが、こういうことが何度も続いた時、ぼくは思った。

 

 

人って、話を聞くのが基本的に下手なんじゃないか?

 

 

これを読んでいる皆さんは、また「大勢の人をバカにしている傲慢な考えだ」とか「ナチュラルに失礼だ」とか思うかもしれない。

ぼくも当時はそう思った。大体の人は話を聞くのが下手なんて、そんなことあるわけがない。ぼくの思い違いだ。

 

だからその考えが頭をよぎってから、ぼくは愚痴や相談をする度、人はどういうことを言うのかかなり慎重に聞いてデータを取ってきた。

 

その結果、やっぱり思い違いでないと分かった。相談や愚痴を聞いた時、大半の人は共感ではなくまず否定やアドバイスから入る。これは間違いないことだった。

 

 

 

 

自分も同じことをやっていた

 

では自分はどうなんだろう? ぼくも誰かの愚痴や相談を聞いた時、すぐに否定やアドバイスをしてしまっているだろうか?

 

そういうことを意識して過ごしていると、何回もそうやってしまっている自分に気が付いた。否定は基本的にしなかったが、「将来こういうことやりたいんだよね」みたいな話を人から聞いた時、何の前置きもなしに「それはこうしたらいいんじゃない?」と言っていたのだ。

 

これはとてつもない衝撃だった。

あんなに「いきなりアドバイスしてくるんじゃねえよ!」と怒っていたのに、逆の立場になった時はぼくもいきなりアドバイスしてしまっていたのだ。相談の時も愚痴の時もである。

 

ぼくはこの時痛いほど悟った。

 

 

「『相手の立場に立つ』って、本当に難しいな」

 

 

この「相手の立場に立つ」というのは、高校2年生の時からのぼくの最大のテーマの1つだ。常に自分に言い聞かせている。

 

にも関わらず、そうしているつもりの自分でもそれができていなかったのだ。本当にゾッとした。

 

だが、同時にぼくは、これはいいことだと思った。

なぜか?

 

 

「自分は相手の立場に立てていないんだ」ということが自覚できたからである。

 

 

まさにこのワークショップのタイトルにつけられたテーマと同じであるが、ぼくは「自分はできていない」ということを理解することは「できた」のだ。

 

今まで自分にいきなりアドバイスをしてきた人たちのことを思い出した。

あの人たちはこの自覚ができているんだろうか?

分からないけど、たぶん、できていないんじゃないかと思った。

 

ぼくは幸いにも自覚できたんだから、この気づきを無駄にしてはいけない。絶対に変わろうと決めた。

 

 

 

 

「自分は話を聞くのが上手い」と自覚した時

 

それからはアンテナをビンビンに張るようにした。人と話をしている時、アドバイスする余地があったら「気をつけろ!」と自分に言い聞かせて立ち止まるようにしたのだ。

そして基本的には何もアドバイスせず受容や共感だけをするようにし、どうしてもアドバイスをしたいと思った時は、まずは共感しまくって味方アピールをこれでもかというほどした後、「もし良かったらアドバイスしても大丈夫? まぁたぶん役に立たないとは思うんだけどさ」というような言い方をするようにした。

 

 

もちろん、そう意識した途端に完全にできるようになったわけではない。人と別れてから「あっ、あの時また無意識にいきなりアドバイスしてしまった!」と気づき反省することは何回かあった。

 

だけどそうやって気をつけまくった結果、そう時間をかけずに理想通りの振る舞いができるようになった。「いきなりアドバイスをしない」ことができるようになったのだ。

その自分を俯瞰し、「よし、できてるな」と何度も確認した。

もちろん、どんなに「それは違うだろ」と言いたくなるような突飛な内容であっても、「味方でいること」「相手の言うことをまずは受け入れること」も徹底した。自分はそうしてもらえなくて辛かったからである。

 

そして、ほぼ無意識にそれらのことができるようになった時、ぼくは思った。

 

 

「ぼくは今、『話を聞くのが上手い』と言えるんじゃないか?」

 

 

ぼくはそれまで、自分が話を聞く能力に特別秀でているとは思っていなかった。

 

人に相談されて感謝されることはそこそこあったから、「どちらかと言えば上手い方なのかなぁ?」とはぼんやりと思っていたけど、そういう体験をした回数はたぶん人並みだろうし、話を聞く時に意識していたのもせいぜい「否定しない」「一生懸命聴く」ぐらいのことぐらいしかなかったからだ。

 

だけど新たに意識することが増えた時、明確な「対比」が生まれた。

 

 

大半の人ができていないことが、自分はできている。

このことを客観的に感じるようになり、ぼくは生まれて初めて、「自分は話を聞くのが上手いんだ」と自覚した。

 

 

これが、ぼくが「自分は話を聞くのが上手い」と思うようになった経緯と根拠である。

 

(「客観的に感じるようになり」と言ったが、もちろん完全に客観的になれてはいない。どんなに俯瞰しているつもりでも結局は主観の域を出ないし、相手から好意的な評価を受けることもあったがお世辞である可能性が当然あるからである。だが少なくとも、「なるべく客観的であろう」という意識は常に持つようにしていた)

 

いつか別のところで詳しく話すと思うが、「話すのが上手い」というのにも、「優しい」というのにも、「論理的思考力が高い」というのにも、全て同じような経緯と根拠がある。

 

めんたねさんのこのnoteの記事の一部を引用しよう。

 

note.com

 

普通に生きていると、「いやあ、俺って頭が良いなあ」と思う機会は滅多にないものだ。自分の思考が自分の判断基準になりやすいからだ。仮に周りと比べて自分に優れた「論理的思考力」があったとしても、自分の頭の中ではいつも通り、ごく当たり前にものを考えているだけである。その過程を他人に見せることもあまりないし、比べることもないため、普通はさほど強く自分の論理的思考力の高さを自覚することはない。

 

おっしゃる通りである。判断基準が自分の思考や能力しかなければ、自分が優れていると思うことはできない。

いや、根拠のない自信というのはあるからできると言えばできるんだけど、それは正しい自信ではない。

 

ぼくは高校2年生の時までは、正しくない自信を持っていた。比較する対象がいなかったり無視したりしていたから、根拠なく自分はできる人間なのだと思い込んでいた(コミュニケーション力に関してとかではなく、ただ漠然と『自分はできるヤツだ』と思っていた)

 

だけど、今は違う。

ぼくは今話したような「対比」を通し、都度改善を繰り返し、少しずつ自信を積み上げていったのだ。

改善を繰り返してきた自分と改善を怠っているように見える他者を冷静に対比できているから、ぼくは「自分は優秀だ」と自信を持って言えるのだ。

 

 

 

 

今回のワークショップでの振る舞いはどうだったか

 

さて、何人かは今こう思っているかもしれない。

 

「いや、今回のワークショップでも北村さんにアドバイスしようと必死になってたじゃないか!」

 

確かに北村さんは

 

「どういう風に答えを出してあげればいいんだろうというのが伝わってきて、自分の気持ちや悩みを話すと言うよりは、思いを聞いてもらうというところから逸れていっちゃった感じがした」

 

とおっしゃっていたし、ぼくが今回のワークショップでの聞き方ができていなかったのは間違いない。

 

だからぼくもつい「アドバイスしようと必死になってしまって反省しています」みたいなことを言ってしまったが、直後にめんたねさんがおっしゃった通り、ぼくが北村さんの話を聞いた時は今回のワークショップの聞き方を知らなかったわけだし、今回教えられたことはあくまでも「こういう聞き方があるんだ」という方法の1つに過ぎず、絶対的なものではない。

 

一方、普遍的に守らなければならない基本ルールはちゃんと存在する。これだ。

ぼくはこのルールに100%同意する。

 

 

 

ぼくは今回、アドバイスを伝えようとする前にこの1〜3をしっかりやった。

「1〜3を全部やったよな。もう4に行って大丈夫だよな」と頭の中で何度も確認してから4に行ったので、「いきなりアドバイスをしない」という自分で決めたルールを守れなかったわけではない。だから、特段問題ではないのだ。

 

もちろん、今回のワークショップで学んだ聞き方はまた努力して必ず身につけるつもりである。

 

 

 

 

ぼくの考えが正しかったと証明された

 

ところで……

ぼくは今回のワークショップでこの3つのルール

 

・味方ポジションに入る

・指示やアドバイスは(極力)行わない

・相談者の言うことは否定せず受け入れる

 

をめんたねさんの口から聞いた時、とてつもなく嬉しかった。

なぜなら、「ぼくの考えは正しかったんだ」と初めて確認できたからである。

 

先ほど、「人は話を聞くのが基本的に下手なんじゃないか?」という疑念が、相談や愚痴を持ちかけた時の相手の一言目のデータを取ることで確信に変わったという話をした。だが実を言うと、真に確信はしていなかったのである。

 

なぜなら、「『相談や愚痴をした時にいきなり否定やアドバイスをされると嫌だ』と感じる人は少ない」という可能性があるからだ。

 

あまりにも多くの人がいきなり否定やアドバイスをしてくるのでぼくは、「ひょっとしてみんな逆の立場になった時にそうされるのが嫌だと感じないのか? ぼくの感覚がおかしいのか?」と疑問を持つようになった。

ぼくは考え方だけでなく感じ方もかなり独特なので、充分あり得る話である。

 

実際ぼくは1度、求めてもいないのに友達にマシンガンのように否定やアドバイスをされまくって半ギレしたことがあるのだが、その時に「◯◯さんだって同じことされたら嫌でしょ?」と聞いたら、「いや、私は嬉しいけど」と答えられたことがある。

 

だからぼくはずっと、自分が傾聴する時に大切にしているルール、

 

・いきなり否定やアドバイスをしない

・相手の味方であることをアピールする

・どんなに違うと思っても相手の言ったことをまずは受け入れる

 

これらを絶対的に大切なものだと思っているのは自分だけで、他の多くの人にとっては大切ではないのかもしれないという疑念を捨てきれずにいた。

 

もしこの疑念が正しいとしたら、ぼくはめちゃくちゃ滑稽だ。全く無意味な対比や改善を何年間もし続け、それで自分は話を聞くのが上手いと思い込んでいるのだから。

 

ぼくはコミュニケーションについて本などで学んだことが全くと言っていいほどなかったから、社会一般的に良いとされる傾聴ルールを知らなかった。

 

しかも、ぼくの傾聴スキルについて誰かから褒めてもらえることは皆無と言っていいほどなかった。

(友達は少ないが)仲のいい人はたくさんいるのにぼくに相談してくれる人なんてほとんどいないし、数少ない相談してくれる人はたまに「話して良かった!聞くの上手いね!」なんて言ってくれることもあるが、具体的なスキルを褒めてくれることは当然ながらない。

流石のぼくも「こういうルールを守りながら聞いてみたんだけどどうだった?」なんて聞く厚かましさは持ち合わせていなかったから、「聞くの上手いね」という言葉に、「一生懸命聞いてくれてるね」以上の意味があるのかどうかなんて全く分からないのだ。

 

 

そんな中で、ぼくはレンタル話し相手の活動を始めたのである。

 

ぼくならできると言ってくれた知り合いは1人もいなかった。

自分で決めた傾聴ルールが正しいのか分からなかった。

「お前なんかに話を聞いてもらいたいなんて誰が思うんだよ」というリプライが無数に来た。

 

それでもぼくはたった1人、自分で自分を信じた。

自分がしてきた対比と改善は間違っていない筈だと信じた。

たまに依頼してくれる人たちからの「助かりました」という言葉を信じた。

 

そして今日(こんにち)、ぼくはこのワークショップの第2回を受けた。

めんたねさんが資料を見せながら傾聴ルールを説明するのを聞いて、ぼくは思った。

 

 

 

「これ、絶対に大切にすべきだとぼくがずっと考えてきたルールじゃないか……」

 

 

 

正直、あの3枚のスライドを見て「なるほど」とは少しも思わなかった。ただひたすら、「そうだよな」と心の中で頷いていた。

 

なるべく表には出さないようにしていたが、ぼくは内心、弾けんばかりに喜んでいた。

 

 

「そうだよな、これらは守ってもらえたらほとんどの人が嬉しいと感じる普遍的なルールなんだよな。やっぱりぼくの感覚は間違ってなかったんだ! ぼくはずっと、正しい対比と改善をしてきたんだ!!」

 

 

ぼくの正しさがついに客観的に証明されたことが、本当に嬉しかった。

 

 

 

 

 

やっぱり人は話を聞くのが下手

 

しかしこうなると、ぼくが抱いてきた、「人は基本的に話を聞くのが下手なんじゃないか?」という疑念はやはり正しかったことになってしまう(もちろん「話を聞く」のには他にも無数のポイントがあるから一概には言えないのだけど、先ほどから話している3つのルールは基礎中の基礎だからかなり大きいと思う)。

 

ほとんどの人は話し手側のとき、相手にあの3つのルールを守ってもらわないと嫌だと感じるのに、ほとんどの人が聞き手側の時は3つのルールを守らない。これはどういうことなのだろうか?

 

 

たぶん、「ほとんどの人は相手の立場に立てていない」ということなんだと思う。

 

 

そしておそらくその多くは、「相手の立場に立てていない」ということを自覚できていない。

なぜそう思うかというと、いきなり否定やアドバイスをしてくる人たちの比率は、ぼくよりずっと長く生きている大人の人たちとぼくと同年代の人たちとで、あまり変わらなかったからである。

 

そういう過ちを10代や20代の人がしてしまうのは全然いい。ぼくだって少し前までできていなかったのだから。

だが、何十年も生きているのにそういうことをしてしまうというのは、ちょっとどうなのだろう。

「自分は相手の立場に立てているだろうか?」と定期的に振り返る習慣さえあれば、どこかのタイミングでとっくに改善できているんじゃないかと思ってしまう。

 

もちろん、全てにおいてそういう習慣がないとは全く思わない。ぼくが好意を寄せている人のほとんどは色々な場面で驚くほど相手の立場に立てているし、日々様々な反省や改善をしている。「この人は本当に人の気持ちが分かるんだな」とか、「この人はこんなことまで反省できてすごいなぁ」とか思うことは数えきれないほどある。

 

だけど、コミュニケーション、特に「聞く」ことに関しては反省や改善をサボッている人がめちゃくちゃ多い気がする。なぜかは分からないが……。

 

だからぼくは、レンタル話し相手として成功できると思っているのだ。

みんなが凄すぎて到底勝てそうにないジャンルはいくつもあるが、多くの人が反省と改善をサボッている「会話」というジャンルでは、ぼくが相対的に圧倒的に秀でることができるからである。

 

 

 

 

ぼくのウォッチャーのみなさんに言いたいこと

 

ぼくのウォッチャーのみなさんと最近少しずつ仲良くなり始めているのはすごく嬉しいし、ぼくもなるべくこの関係を悪化させたくはないのだが、この際どうしても言わずにいられないので言わせてもらいたい。

 

ぼくがめんたねさんに送ったDMが公開され一気に注目された日、みなさんはぼくに何をしたか覚えているだろうか?

 

 

そう、否定とアドバイスをしまくったのである。

 

 

・何の関係性もできていないのに

・ぼくは何も求めていないのに

・上から目線で

・敵ポジションに入り

・否定し

・アドバイス

・そのアドバイスを聞かないとぼくに言われたら素直じゃないと言い張り

・ぼくが人と会話するところを見たこともないのに「あなたと話したいと思う人なんか誰もいない」と言い

・勝手にぼくの母を気の毒に思い

・絶対に成功しないと決めつけ

 

たのだ。

 

もちろん分かっている。ネットの知らない人とのコミュニケーションなんて雑にするのが普通だし、公開されたぼくのDMがあまりにもおかしかったからぼくのことを軽んじてしまうのも全く無理のないことだ。

 

だけど、ぼくの多様な面を知り、めんたねさんのワークショップを2回観覧した今、こうして並べて振り返ってみるとどうだろうか? ちょっとあまりにも酷かったとは思わないだろうか?

 

別に怒ってなどいない。ぼくのメンタルは超鈍いから全く傷ついていないし、ぼくは逆境に逢うほど燃えるタイプなのでめちゃくちゃ良いガソリンになった。皮肉ではなく本当に感謝している。

 

だが、ぼくのことを自分達に比べて特別に劣っているとみなすのはどうだろう? とは言いたいのだ。

 

ぼくは少なくとも、いきなり否定やアドバイスなんか絶対にしない。どうしてもしたいときは必ず、相手の言うことを全て受け入れ、味方ポジションに入った後にすると決めている。

 

なぜか? 相手の立場に立てているからだ。立てていなかった時はあったが、その自分を自覚し、努力して改善したからだ。

 

そして、謙虚だからだ。最終的に自分のアドバイスが役に立つ場合はあるだろうとは思うものの、基本的には相手が一生懸命考えても分からなかった解決案を他人の自分なんかがパッと思いつけるわけがないと思っているからだ。少なくとも聞き手はそのポーズを取らなければならないと弁えているからだ。

 

  

(もちろん他の部分では、相手の立場に立てていない時や謙虚でない時はたくさんある筈だと思っている)

 

確かに、ぼくには欠点がたくさんある。しかし本当に直さなければならないような重大な欠点は、皆さんが思うほど多いだろうか?

 

note.com

 

例えばめんたねさんのこのnote記事で指摘されている「ナチュラルに失礼」な言動は、本当にシャレにならないものなのだろうか?

 

これまでのぼくの言動を追っている方々なら、ぼくがよく冗談を言うことは分かってくれているだろう。もちろん自分が極めて優れていると思っているのは本当だが、それを口にした時に人々がどういう反応をするかが分かる程度の知性はあるということも、もう分かっているだろう。

 

ぼくがツイートにアップした依頼者の方や友達とのやり取りの動画を思い出して欲しい。冗談で上から目線になって相手を笑わせることはあっても、真面目な場面で自覚していない上から目線を発揮し相手を本気で不快にさせたことは何回あっただろうか?

 

ぼくに本気で怒ったのは、ぼくが知っている中では石炭さんと佐川さんの2人だけだ。石炭さんは誤読して怒っていただけだったからきちんと説明したら怒りを収めてくれたし、後日和やかにZOOM電話まですることができた。

佐川さんは本当にぼくの落ち度で怒らせてしまったので、何の弁明もない。ただひたすら申し訳なかった。だが少なくとも謝罪することはできた(だからいいという訳では決してないが)。

 

 

 

さて、ぼくがめんたねさんに送ったDMは本当にガチだったのだろうか? それとも冗談だったのだろうか? あるいは戦略だったのだろうか?

 

答えは、皆さんの想像にお任せする。

ガチだった場合はガチだったと認めるのは恥ずかしいし、冗談や戦略だった場合は、それを認めるとつまらないからだ。

 

ただ、明らかなことは2つある。

 

1つは、このDMによってぼくの「バズりたい」「注目されたい」という狙いは結果的にかなり上手くいっているということ。

 

そしてもう1つは、ぼくに対して本気で怒っている人は今のところほとんどいないということだ。

 

 

ぼくが本当に失礼なことを言ってしまったなと反省した発言は以下の2つである。

 

「(めんたねさんと佐川さんに対して)DJ社長などの大物インフルエンサーにDMを送るのは手間をかけさせてしまうから申し訳ないけど、フォロワーが1万人ぐらいの人だったらそんなに問題ないと思う」

 

「ノートを取っている人の9割は何も考えていないんじゃないかと思う」

 

両方とんでもない発言だと思うだろう。ぼくも今はそう思う。これらは本当に失礼な発言だったと深く反省している。

 

多くの人が、ぼくが本当に失礼な人間だという根拠なんかこの2つの発言だけで十分だと思うかもしれない。

もちろんそう思ってもらってもいいのだが、ぼくに言わせれば、いきなり否定やアドバイスをしてくる人もめちゃくちゃ失礼だ。ぼくはあまり指摘をしないが、他にも「これは失礼だろ」と他人に思うことはいくつもある。

 

思うに、人はみんな失礼なのだ。

 

何度か紹介しているが、ぼくは以前こういうツイートをしたことがある。

 

 

これはぼくの大きな哲学の1つなのだが、この「バカ」は他の色んなことに言い換えられると思っている。

 

人はみんなバカで、失礼で、傲慢で、相手の立場に立てない生き物なのだ。ぼくだけがそうであるわけではない。

 

そしてぼくは全体的に言えば、かなりマシな方だと思っている。だって少なくとも、自省と謝罪と対比と改善ができるのだから。

 

 

みなさんがどう思うかは自由だ。やっぱりぼくはヤバくてダメなやつだと思ってもらっても全然構わない。

 

ただどう思うにせよ、ぼくのことをウォッチし続けてくれると嬉しい。論理的思考力を証明することは難しいが、話を聞く能力については明らかな成長を見せることを約束しよう。

 

第3回が今から楽しみだ。

 

「わからない」と思うための対話 第1回 感想

 

数日前からぼくに興味を持ってくださっているめんたねさん(@mentane)という方が、ある時こんなツイートをされた。

 

 

狙いはこうだそうだ。

 

 

お誘いを受けてぼくはもちろん快諾した。

ぼくにとってメリットしかないし、メリット云々の計算を除いてもこういう勉強には興味があり、ずっとやってみたいと思っていたからだ。

 

毎週金曜日の22時から計10回ぐらい行われるらしい。

せっかくなので毎週学んだことをブログに記録しておこうと思う。

 

このワークの様子はめんたねさんのYouTubeチャンネルで見られるので、もしまだ見ていなくて見たい人はこちらからどうぞ!

 

 

www.youtube.com

 

 

ちなみに資料の転載許可はめんたねさんから頂いている。

 

また、

 

 こういう風に 

 

小さく薄い文字で書かれているのはめんたねさんの言葉の引用である。

 

 

 

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まず「やられた!」と思った

 

ワークショップが始まる前、資料のこのページを見て「やられた!」と思った。

 

f:id:Rentalhanashiaite:20200720234119p:plain なぜか? 「実践とフィードバック」が組み込まれていたからだ。

 

ぼくは教育は基本的には「教える」割合を少なくして「実践とフィードバックをさせる」割合が多いといいと思っているんだけど、まさにそういうワークショップだったから「やられた! ぼくが先にやって日本を驚かせたかった!」と悔しく思った。 

 

でもめんたねさんに言わせれば、「君が世界を知らないだけでこんなことをやってる人はたくさんいるよw」とのことらしい(笑)

早く世界を知りたい。

 

 

 

理解できたことを相手に伝える必要がある

 

f:id:Rentalhanashiaite:20200721182340p:plain

この資料で書かれていることはかなりの衝撃だった。

 

ぼくも話し相手を自称しているくらいだからコミュニケーションのルールはいくつも持っていて、このことも考えていなくはなかったけど、「伝えた方がよりいいよなぁ」ぐらいのぼんやりとした意識しか持っていなかった。

 

でも考えてみればこれは「必ずそうしなければならない」というぐらい重要なことであり、しっかりと言語化して絶対的なルールとして設定していなかった自分の愚かさに驚いた。

 

でもぼくは「人はごく簡単なことが分からない生き物だ」という哲学を持っているから、同時に「まぁこんなこともあるか」とも思った。今気づけたのはむしろラッキーだと言えるだろう。

 

 

 

聞きそびれたらまた聞き返せばいい

 

案外相手が言ったことをそのままストンと受けとるって難しくて、ちょっと違う意味に理解したりとかポコポコ抜けたりとか、そういうのって起こるんですよね。

そうするとどうすればいいかっていうと、また聞けばいいんだよね。

「さっきここ聞いた気がするんだけどちょっと分かんなくなっちゃったからまた聞きたいんだけど」って言えば、大体みんな親切に教えてくれるので。

誤解すると関係が切れるんですよ。「話が通じてない!」みたいな。

なので、「聞き直す」っていうのはこの先のワークショップでどんどんやってもらって構いません。

  

これも言われてみれば当たり前のことなのに分かっていなかった。

 

ぼくが1番多いパターンは、「相手の話について考えすぎて聞きそびれてしまう」やつ。

 

(この悩みの解決策はこうかな。それともこうかな……あれ、今この人なんて言ってたっけ?)みたいなことがよくある。

 

そういう時、「実際にはそういう理由でも、聞き返したら『真面目に聞いてなかったのね。不誠実な人だな』って思われちゃうんだろうな。まぁ聞き返さなくてもなんとか理解できるだろ」と思って聞き返さないことが多いんだけど、実際にはなんとかならないことの方がずっと多い。

 

2割ぐらいはなんとかなるんだけど、そんな危ない橋は渡らない方がいいに決まっている。聞き返すことこそ誠実なんだから、これからは遠慮せずに聞き返そうと思った。

 

 

 

相手はその話のどこが1番重要なポイントだと感じながら話しているのか推測を立て、なおかつそれが推測だと認識しておく

 

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この話のどこが1番の重要ポイントなのかとかというのが微妙にずれると、「話自体は理解されてるんだけどなんか理解されてないな」みたいな気持ちになったりするんですよ。 

なので話を聞きながら、「この話のどこがこの人は1番重要だと思ってるのかな」っていうことを考えながら話を聞いてみると、聞き方が少し変わりますね。

でもこれ、残念ながら分からないんです。人の頭の中だから。

なので、そうやって相手の頭の中について推測は立てるけど、それが推測だということを持っておくんです。

そうしないと「こうなんだな」と思った時にそれが100%にピッて振り切っちゃって、もう「そういう話」っていう風に聞いちゃいますから。

推測をしてなおかつそれは推測であると認識しておく。そうすると、追加で質問したいことが出てくるんです。

「自分は5割ぐらいこうかなと思うんだけど、本当にそうなのか確認しないと分かんないな」っていう気持ちになってくると、聞きたくなるから聞くでしょ。そこに興味が生まれるわけですよ。ただぼんやり聞いてるとあんまりこういう種類の興味って生まれないですね。

 

また自己認識がバグってると思われるかもしれないけど、これはぼくは割と意識できているんじゃないかと思う(前も言ったように「ちゃんとできているか」は分からない)。

 

ぼくはいつもそういうアンテナを立てながら話を聞き、相手の話が終わったら「つまりこういうことですかね?」と推測を話すということをかなり意識的にしている。

 

この前連投した動画でも、ぼくがそうしたことで依頼者の方に「そうですそうです!まさにそういうことです!」と喜んでもらえた場面があったから、客観的な評価から考えてもある程度はできていると思っていいのかもしれない。

 

でもその回数が少ないのが問題で、例えば20分ずーっと話を聞いてやっと推測を話すということをしていたんだけど、これでは相手は20分ずっと不安だし、推測が間違っている場合長い間修正できない。

 

だからこれからはもっとこまめに推測を話そうと思った。

 

 

 

単語をなるべく言い換えない

 

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この娘さんからすると、自分の父親っていうのは「パパ」なんですよ。そこで「お父様」とかいう風に別の言葉を当てると、自分の言語じゃなくて他人の言語で言葉を聞いて、それを一度自分の言語に翻訳し直さなきゃいけないわけですよね。これって少し負荷がかかる。

一方で子供と同じ言葉で喋れば、子供はその人のことを味方であると思うんですね。

でも違う言葉遣いをすると、何か別の人種、別の人間であるという違いが認識されやすいし、処理をするためには負荷がかかってしまう。賢い人はそれでも変換して理解できるんだけど。

なので、話す人に話すとか考えるとかいうことにメインの力を注いでもらいたいような時には、なるべく相手の言葉遣いに合わせてこっちも会話してあげるーー相手の言葉、相手の言語で喋ってあげるという技術が重要になってきます。

で、そのための1番シンプルな方法というのが、「単語をなるべく言い換えない」。相手が使った単語は相手が使った通りで使うということです。

 

もちろん全部そうした方がいいわけではないんだけど、基本的には同じ言葉を使った方がいいという話に納得した。

 

ワークショップの直前にも同じ話を聞いて「そうしよう!」と思ったのに早速ミスってしまった。癖を直すのは相当大変だけど、都度意識しまくって必ず直す。

 

 

 

話を聞くのは難しい

 

北村さんもケンタさんもおっしゃってたけど、このワークショップの1番の感想はとにかくこれ。

 

物心ついた時からずーっとやっている「聞く」という行為の難しさにどうして今さら気づいたのかというと、「これまでは要約して説明する必要に迫られていなかったから」だと思う。

 

効果的な読書方法に「読み終わった後に内容を要約して誰かに話すつもりで読む」というものがあるんだけど、これをやってみると、「あれ!? 300ページの本を読んだのに内容ほとんど覚えてない!」ということに気が付いて愕然とする。

 

つまりぼくたちはどれだけいい加減に本を読んでいるかということなんだけど、会話も同じなんだということがわかった。

 

聞いた話を十分に理解できていないのに、それを要約して伝えていないから、「理解できていない」ということが理解できていないのだ。

 

普段の会話は実はそういう状況だったんだ、ということを嫌というほど突きつけられる衝撃的なワークショップだった。

 

 

 

学んだ技術を日常で使うのは難しい

 

ワークを学ぶと結構多くの人が、真面目に取り組みすぎるが故に日常生活でもワーク通りに喋り始めるんですよ。異様なんだよ(笑) 

ワークで色々学んだルールとかやり方っていうのは補助輪みたいなものなんです。いつまでも大人になっても補助輪付きの自転車には乗らないよねっていう話であって。

補助やサポートっていうのは、それを使って何かコツを掴むことができれば最後は捨ててしまって構わない。

だから、「マニュアルは最後には必ず捨てるものなのだ」っていうことは頭の中に入れておいてください。

まずは言われた通り試しにやってみる。そうしてやってみた時に感じたり気づいたりしたことを持って帰ってもらえれば、ワークショップで学んだ意味があるかなと思います。

 

これはたぶん思った以上に難しいんじゃないかと思う。

 

まずモチベーションを保ち続けるのが難しい。その時は「よしやるぞ!」って思っても、数日経ったら忘れたり面倒になったりして学んだことを意識しなくなってしまう人は多い気がする。

 

そして意識していても上手に技術を使うのが難しい。

ワークでは「これはこういうことなんですね? 以上です」みたいな感じで思い切り露骨にやっていたけど(笑)、これを自然にやるのはそんなに簡単なことじゃなさそう。間髪入れずに喋りまくったり怒りながら喋ったり色々な人がいるし。

 

でも、難しくても頑張らないといけないなと思う。

ぼくはレンタル話し相手をやっているからというのもあるけど、どういう人生を送るにしたって、コミュニケーションは一生取り続けるものだからだ。絶対に諦めてはいけない。

 

2回目以降も頑張って貪欲に学んでいこうと思う。