NHHさんとのやりとりについて
(ツイートの引用がたくさん出てきます。ツイートを確認しながらご覧になりたい方はスマホ画面右下のコンパスマークをタップしてTwitterではなくsafariでこの記事を読むことをお勧めします)
かなり長いので先に結論を言うと、
「ちゆ12歳さんの解説の一部におそらく誤りがあったのだがそれに気づかないまま解説に納得し、間違った謝り方をしてしまった。【堀元さんのLINEの文章を貼ったのは適切だったがツイキャスでした説明の解像度が低すぎて分かり合えなかった】というのが真実。ぼくがザル過ぎたせいで大混乱させてすみません」
という内容です。
また、この記事を書いたのはぼくの正しさをアピールしたいからとかではなく、真実を明らかにしたいからです。
この件に限らずぼくがいつもしつこく食い下がっているのは自分の考えが真実であると思っているからであり、自分の考えが真実でないと分かったらすぐに考えを変えます。大事なのは「自分が正しいこと」ではなく「真実を明らかにすること」なので、「自分が間違ってました」と言うことに抵抗はありません。
今ここでちゃぶ台をひっくり返すのは「やっぱりぼくが間違っているなんて嫌だから」ではなく、「モヤモヤしていたので考え続けていたら真実だと思うことが変わり、それを発表したいから」です。
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流れをおさらい
まず流れをおさらいするとこうなります。
NHHさん「レン話は覚悟がないからヌルヌル話法を指摘されて『これはこういう意味だったんだ』と後出しで言い訳している」
レン話「全ての考えを予め説明することは不可能。特にツイートの場合誤解が生じるのは当たり前で早々に決めつける読み手側に問題がある」
NHHさん「誤解なく伝えたいことがあるなら解釈の余地のないよう言葉を選ぶのが書き手の責任。特にレン話はヌルヌルしているので書き手として不誠実」
レン話「堀元さんのLINEが参考になる」
NHHさん「どう参考になるのか」
キャスレン話「細かくは違うが大きく言えば発し手ではなく受け手側に責任があると書いてあるので今の話の参考になる」
NHHさん「俺がしていた書き手と読み手の話と堀元さんがしていた絶対という言葉の無謬性の話は全く違うので参考にならない」
キャスレン話「細かくは違うとぼくも認めてる。終わる」
ちゆ12歳さん「堀元さんのLINEの趣旨は【『暗黙の了解』を共有する読者に正確に分かりやすく伝わる文章を書くのに、書き手は苦心している。そこに『暗黙の了解』を理解せず文脈無視のリプをするのは野暮】ということ。(堀元さんの)あらゆる但し書きを書くのは現実的ではないという話が、(レン話の言った)だから誤解されるツイートしか書けないのは当然という意味で書かれているとは思いません」
レン話「なるほど、堀元さんは暗黙の了解がある話に関してだけでなく一般的な話においても誤解するのは読み手の責任だと言っていると思い込んでいた、ぼくが間違っていた」
やはり誤解されるツイートしか書けない
まず、僭越ながらちゆ12歳さんの解説の誤りだと思うところを説明します。
ちゆ12歳さんの考えをもう少し簡潔に書くと
「堀元さんはあくまで暗黙の了解のある話に暗黙の了解を理解せずリプライをするのは野暮だという話をしているだけであり、誤解されるツイートしか書けないのは当然とは書いていない」
となると思うのですが、ぼくは、
堀元さんは「誤解されるツイートしか書けない」と書いているに等しい
と思います。
確かに1~2枚目では「暗黙の了解のある話に暗黙の了解を理解せずリプライをするのは野暮」という話をしているのですが、それはあくまで「誤解されるツイートしか書けない」という話の一例に過ぎないと思います。
恐れ入ります。ご参考になるか分かりませんが、私の視点だと、こんな感想でした pic.twitter.com/t81dkSBob6
— ちゆ12歳(19周年) (@tiyu12sai) 2020年11月23日
何故なら人は発信をする時、LINEに出てきた戦闘機の例で言うと、安全性100で速さ0の戦闘機を作るわけにはいかないからです。
そんな戦闘機はバランスが悪すぎて通常良いとはされないですから、良い戦闘機を作るためには速さ(伝わりやすさ)の値を上げる代わりに安全性(正確さ)の値をいくらか下げる必要が出てきます。
となれば、誤解はどうしても生じます。
ちゆ12歳さんは「必要な正確性を保ちながら簡潔に書く」例として「語りたくてもノイズになる情報は削る」「ときには専門用語で正確に説明するよりおおまかでも簡単な言葉を使う」などを挙げていますが、これらのことをやれば“暗黙の了解”を理解している人からも誤解されるのは避けられません。
つまり、安全性100で速さ0のバランスの悪い戦闘機を作る人でない限り、「誤解されるツイートしか書けないのは当然」なのです。
「言葉不足で誤解されるのを恐れない」というのが、発信者すべてが持っておくべき姿勢だ。
— 堀元 見@企画屋 (@kenhori2) 2018年5月9日
カップ麺の作り方は「かやくを入れて、お湯を入れて3分待つ」でいい。
「かやく(火薬ではない。加薬)を入れて、お湯(水を十分に沸かして100℃程度の温度にして作る)を入れて3分待つ」だと読みにくすぎる。
(このツイートで挙げられている例は「暗黙の了解」の部類に入るでしょうが、暗黙の了解のある話に限らず堀元さんはきっと「言葉不足で誤解されるのを恐れるな」と考えていると思います)
この考えは実はぼくも堀元さんから例のLINEをもらった時(2019年9月)より前から持っており、このツリー(2019年7月)でほぼ同様のことを説明しています。
長くなりましたのでメモ帳で返信いたします! pic.twitter.com/aWR16kvOaw
— レンタル話し相手 (@Rentaltalker) 2019年7月2日
つまり、堀元さんの文章があまりに素晴らしかったのでツイートで紹介したのですが、ぼくは実はもともと妥協の芸術を理解している人間だったのです。そのことは堀元さんの例のLINEの後のぼくの返信でも語られています。
(蛇足ですがこの「DaiGoさんの場合は妥協の芸術が当てはまらない」というぼくの考えは、続いての堀元さんの「物理の教科書だって妥協の芸術でできているんだからDaiGoさんの言った『科学的な絶対』も妥協の芸術でいいんだよ」の一言で覆されました)
したがって、暗黙の了解を理解せずに「~という例外もありますよ!」などというツッコミをするのがクソリプであることは間違い無いのですが、暗黙の了解を理解している読み手が例えばノイズとして削られた言葉だけを読んで「こう思っているなんてあなた最低ですね!」と言うことなどもクソリプと言えると思います。
最低限必要な前提条件を省略していた
……そういう強い信念があったので、ぼくはNHHさんにこのリプライをしたのです。
後出しも何も全ての考えを予め説明することは不可能です。
— レンタル話し相手 (@Rentaltalker) 2020年11月17日
特にツイートの場合誤解が生じるのは当たり前で、早々に決めつける読み手側に問題があります。
それを「こういう意味だったんですよ」と説明することは言い訳とは言いません。
が、今思えばこのリプライは不適切でした。何故ならNHHさんはその直前でこの通り、あくまでぼくの「ヌルヌル話法」について批判していたからです。
覚悟がないから、いつまで経ってもヌルヌル話法で「何で僕の話を理解できないんだ!ムキー!」となるか、ヌルヌル話法を指摘されて「これはこういう意味で言ったんですよ」と後出しで言い訳してるんだよね。そう見えてるよ。
— NHH (@10em1603) 2020年11月17日
NHHさんのおっしゃる通り、ヌルヌル話法(具体的には以下の2ツイートでNHHさんは【自分の中でも定義できていない言葉を使ったり後から前提条件を付け足したりすること】を指しています)をしている書き手は批判されるべきでしょう。
それは装甲が薄いとかいうことではなく、装甲がスライムでできているとか装甲に穴が空いているとかそういうレベルの話だからです。
そして、言葉は、書き手と受け手が共通の意味で理解していないとやりとりが難しい。だから言葉には定義があるし、話の前提条件を確認した上でやりとりすることが必要。ところが #レン話 は、自分の中でも定義できていない言葉を使ったり(例:論理的思考力)、この一連の会話でも、
— NHH (@10em1603) 2020年11月22日
後から前提条件を付け足したり(解釈の余地が残る場合において等)している。これは会話において極めて不誠実な態度だし、相手から見れば今まで積み重ねたやりとりを無に帰されることになる。また繰り返しになるが、言葉は発した時点でその解釈は受け手に委ねられる。#レン話
— NHH (@10em1603) 2020年11月22日
ただぼくは、これまで散々指摘されてきたのにまだ分からないのかと思われるでしょうが、やっぱり自分がヌルヌルしているとは思えないんですよね……。
よほど特殊な使い方をしていない限り細かく定義づけをしなくても話は通じる(装甲はスライムにならない)し、最低限必要な前提条件を省略して(装甲に穴を開けて)後から付け足すこともあまりやっていないという認識を持っています。
なのでNHHさんから「ヌルヌル話法を指摘されて『これはこういう意味で言ったんですよ』と後出しで言い訳してるんだよね」と言われたとき、ぼくは
(またヌルヌル話法か……ぼくはそんなことしてないよ。ヌルヌル話法じゃなくてキレキレ話法(ヌルヌルしていない話を便宜的にそう呼ぶことにします)をしていて、それでも誤解される可能性はどうしても残るから、誤解されたときに『これはこういう意味で言ったんですよ』と言ってるだけだよ)
と思い、このリプライをしたのでした。
後出しも何も全ての考えを予め説明することは不可能です。
— レンタル話し相手 (@Rentaltalker) 2020年11月17日
特にツイートの場合誤解が生じるのは当たり前で、早々に決めつける読み手側に問題があります。
それを「こういう意味だったんですよ」と説明することは言い訳とは言いません。
しかし適切にやりとりするならまず、心の中で思った「自分はヌルヌルはしておらずキレキレ話法をしているつもり。それでも誤解される可能性は残る」ということをきちんと伝えなければなりませんでした。
(NHHさんからは「『解釈の余地が残る場合に』なんてどこにも書いてなかったよ。最低限必要な前提条件を後から付け足すなよ」と言われていましたが、この場で最低限必要だった前提条件は『自分はヌルヌルはしておらずキレキレ話法をしているつもり。それでも誤解される可能性はどうしても残る』の方であり、『解釈の余地が残る場合に』の方ではありません。既に説明したように基本的にどんな時も解釈の余地は残るのでこの言葉は不要です)
これを怠ったせいで、NHHさんに堀元さんのLINEの文章を見せた時に、
「そりゃ『絶対』という言葉を信じて誤解するやつはいるけどそれは暗黙の了解を理解していないバカの話だろ。キレキレ話法をしていたら誤解の可能性は無くすことができるからこのLINEの文章は俺の話と関係ないだろ」
と思わせてしまったのだと思います。
しかしぼくが最も伝えたかったのは暗黙の了解をしている1~2枚目の部分ではなく、「言論は妥協の芸術だからキレキレ話法をしていても誤解の可能性は残るよ」という3枚目の部分であり、だからこそツイキャスで「細かく(キレキレ話法と暗黙の了解)は違うけど大きく(誤解の可能性は残る)は同じだ」と何度も言っていたのでした。
そして、NHHさんは
「3枚目の妥協の芸術(誤解の可能性が残る)」というのはあくまで暗黙の了解がある話に限るから今回の話とは関係ないだろ。レン話はヌルヌル話法を使ってるから誤解されるのであって、キレキレ話法をしていたら誤解の可能性を無くすことはできるだろ」
と考えていらしたので、ぼくは
「細かくは違うけど大きくは同じで、ざっくり言うとNHHさんは書き手側に責任があるという立場だがぼくは読み手側に責任があるという立場なので読み手側に責任があると書いてある堀元さんの文章が参考になる」
(該当部分9:35〜)
とバカみたいに何度も繰り返すのではなく、もっと解像度を上げて具体的に、
「3枚目の妥協の芸術(誤解の可能性が残る)というのは暗黙の了解がある話に限らず、キレキレ話法をしている時にも当てはまるからこのLINEは参考になる。ぼくが誤解されるのはぼくがヌルヌルしているからではなく、キレキレしていても少しでも速さのある戦闘機を作る以上誤解の可能性はどうしても生まれるからだ」
という説明をすれば良かったのでした。
読み手側の責任とは
また、「NHHさんは書き手側に責任があるという立場だがぼくは読み手側に責任があるという立場なので読み手側に責任があると書いてある堀元さんの文章が参考になる」という説明はマジで解像度が低いというかシンプルに言葉が足りなくて、それも分かり合えなかった原因の大きな1つになっていました。
おそらく多くの人に勘違いさせてしまっているのですが、「読み手側に責任がある」の「責任」とは、「誤解すること」ではありません。
「伝わりやすさ」の値を入れるために「正確性」をいくらか削るのですから、誤解する人が出るのは当然です。それは悩みながら必死に探り出した妥協点の結果なので発し手に「誤解させること」の責任はないと思いますが、受け手にも「誤解すること」の責任はないのです。
ではどういう時に受け手に責任が生じるかというと、「決めつけてクソリプを送った時」だと思います。
ノイズで削られた情報を勝手に自分の脳内で補足して「この人はこう思っているに違いない」と決めつけたり、複数ある単語の意味を「こっちの意味に違いない」と決めつけたりしてクソリプを送ることは非常に良くないことだと思います。
誤解することは避けられませんが、誤解したあと冷静になって他の意味の可能性を考えたり、発し手に穏やかに「これってこういうこと?」と質問したりすることは可能だからです。
なのでぼくは、誤解されただけでは怒りませんが、決めつけられたら怒ります。だからこそここでは「1つの解釈に“思い込まない”方がいい」と言っているし、
今回も「早々に“決めつける”読み手側に問題があります」と言ったのです。
後出しも何も全ての考えを予め説明することは不可能です。
— レンタル話し相手 (@Rentaltalker) 2020年11月17日
特にツイートの場合誤解が生じるのは当たり前で、早々に決めつける読み手側に問題があります。
それを「こういう意味だったんですよ」と説明することは言い訳とは言いません。
このスタンスは常に一貫しており、例えば誤解なさっていても決めつけずに都度質問してくださっているsakurakoさんのリプライには快く応えています。
何かを強くオススメされた時、「それは利他心ですか? エゴですか?」と確認することは大事だと思う
— レンタル話し相手 (@Rentaltalker) 2020年10月4日
(このツイートは特にヌルヌルしていない筈です。それでも多くの人に読まれれば、「エゴでオススメしたらダメってことか! エゴでオススメしたっていいだろ!」と誤解したまま決めつけてクソリプをする人は出てくるでしょう)
しかしNHHさんは「解釈の余地(誤解)なく伝えたいことがあるなら」と、ぼくの考える「読み手の問題」を「決めつけること」ではなく「誤解すること」と勘違いしていらっしゃいました。
「解釈の余地が残る場合に」なんてどこにも書いてなかったよ。「解釈の余地が残る」言葉は、自分の意図と違う解釈を許容する(どう解釈されても構わない)場合のみ発信すべきで、後から言い訳するために使うのは卑怯。「解釈の余地」(この場合は誤解というべきか)なく伝えたいことがあるなら、(続く)
— NHH (@10em1603) 2020年11月18日
ぼくはそのことに気がつくべきでした。
ここで「いや、誤解することは全然いいんです。それは仕方ないですから。決めつけるのだけが問題だと思います」と言っていればそれでやりとりは丸く終わっていたかもしれません。
後出しだと思われるかもしれませんが、この「誤解することではなく決めつけるのが問題だ」というのはぼくの中で本当にかなり強い信念なのに、このリプライの時点でNHHさんの勘違いに気づけなかった上、ツイキャスで「NHHさんは書き手側に責任があるという立場だがぼくは読み手側に責任があるという立場」と言った時も「この責任というのは決めつけることを指しています」と言わなかったのはぼくの大きな落ち度でした。なぜこんなミスをしたのか分からないのですが、情けないです……。
まとめ
というわけで、改めて振り返って流れをまとめるとこうなります(都合のいいように無意識に記憶を書き変えている可能性もありますが……)。
NHHさん「レン話は覚悟がないからヌルヌル話法を指摘されて『これはこういう意味だったんだ』と後出しで言い訳している」
レン話「(ヌルヌル話法してないよ。キレキレ話法をしているけどそれでも)全ての考えを予め説明することは不可能。特にツイートの場合誤解が生じるのは当たり前で早々に決めつける読み手側に問題がある」
NHHさん「(誤解するのは読み手の責任と言っていると勘違いし)誤解なく伝えたいことがあるなら解釈の余地のないよう言葉を選ぶのが書き手の責任。特にレン話はヌルヌルしているので書き手として不誠実」
レン話「(NHHさんの勘違いに気づかず)堀元さんのLINEが参考になる」
NHHさん「どう参考になるのか」
キャスレン話「細かくは違うが大きく言えば発し手ではなく受け手側に責任があると書いてあるので今の話の参考になる」
NHHさん「俺がしていた書き手と読み手の話と堀元さんがしていた絶対という言葉の無謬性の話は全く違うので参考にならない」
キャスレン話「(絶対という言葉の無謬性の話は妥協の芸術の話の一例に過ぎないのに何を言ってるんだ?)細かくは違うとぼくも認めてる。終わる」
ちゆ12歳さん「堀元さんのLINEの趣旨は【『暗黙の了解』を共有する読者に正確に分かりやすく伝わる文章を書くのに、書き手は苦心している。そこに『暗黙の了解』を理解せず文脈無視のリプをするのは野暮】ということ。(堀元さんの)あらゆる但し書きを書くのは現実的ではないという話が、(レン話の言った)だから誤解されるツイートしか書けないのは当然という意味で書かれているとは思いません」
レン話「(あまりに明晰な文章に思わず納得してしまい)なるほど、堀元さんは暗黙の了解がある話に関してだけでなく一般的な話においても誤解するのは読み手の責任だと言っていると思い込んでいた、ぼくが間違っていた」
一晩経ったレン話「(よく考えたら待てよ、じゃあ暗黙の了解とは関係のない話の時は本当に誤解される可能性をなくせるのか? 無理だろ。戦闘機の話をもう1度読み返そう……あ、やっぱりこれ『誤解されるツイートしか書けないのは当然』と書いてるに等しいよな。てかそのことはぼくは前からよく分かってただろ!ちゆ12歳さんの文章がすごすぎて思わず吹っ飛んじゃったよ! 今度はツイートを見直そう……。あ、ヌルヌルしてないと明確に言うべきだった。あれ、NHHさん勘違いしてるじゃん。ぼくはなんで誤解されるのはいいんですって言わなかったんだ? 大変だ、全部一から説明し直そう!」
……というわけで、ぼくがひたすらザル過ぎました……。
最低限必要な前提条件を省略し、相手の勘違いに気づかず、キャスでの解像度も低く、ちゆ12歳さんの説明を疑えませんでした。
ぼくの未熟さによって大混乱を引き起こしてしまい、本当に申し訳ありませんでした。
またそれにも関わらずNHHさんに対して偉そうな態度を取っていたこと、非常に失礼だったなと思います。重ねて申し訳ありませんでした。
これからはザルにならないよう、慎重に議論していきます。
このブログ記事を載せたツイートはNHHさんにDMでお送りします。
こんなに長い記事を最後までお読みくださりありがとうございました。
「わからない」と思うための対話 第13回 感想
動画はこちら!
今回のテーマはこれ!
「Aの望みとBの望みの間でどちらを取るか迷ってしまう」、これが葛藤です。
「食べたい」というのと「痩せて水着が似合うようになりたい」というのは「あちらを取ればこちらが立たず」みたいな関係になってますよね。
葛藤の渦中にいる人というのはそもそも、自分がどういう望みの間で迷って葛藤に陥っているのかっていう自覚が案外なく、ただぼんやりモヤモヤしてるケースっていうのが多いんです。
で、まず丁寧に話を聞いてあげて、「こういう望みがあるけどその望みを叶えようとするとこういう問題が起きるのね。つまり別の望みがあってその望みが叶わないということが起きちゃうのね」という風に……皆さんであれば話を丁寧に聞いていくと「2つの望みの綱引きになっているのね」というのが見えてきます。
で、「あぁ、これが葛藤なのね」と、そこの2つの望みの間で天秤にかけて綱引き状態になっているということが分かるだけでだいぶ整理されてスッキリしてきます。本当に深い悩みというのはいつでもモヤモヤと“もや”にかかったような姿が見えないものになっています。
全然ピンとこない……。「そうか!自分はこの2つの望みの間で綱引き状態になってるのか!スッキリ!」となった経験がこれまでの人生で1度もない。
たぶん、ぼくは自分の悩みはどういう形になっているのかを常に整理して考えているからだろう。
でもぼく以外の人でも、悩みが整理されただけでスッキリするイメージが湧かない。本当にそんな人いるのだろうかというのが率直な疑問だ。
葛藤というのは普通に生きているとまあ確実にたくさん出てきます。
その葛藤があること自体は全然不思議じゃなくて、生きていれば葛藤の山の中で僕らは生きていくわけです。じゃあなんで葛藤が問題になるのかって言うと、その葛藤を抱え込めなくなった時に問題になります。
例えば小さい子供っていうのは目の前に何か望みがあってもそれが思い通りにならないような時にすぐ泣いたり叫んだり怒ったり色々しちゃうでしょ。あれっていうのは葛藤を抱え込んでおく能力っていうのが低いからなんですよ。で、だんだんと成長して大人度が上がっていくにつれ葛藤を抱え込む量が増えていきます。なかなか思い通りのウハウハではなく、あちらを立てればこちらが立たずでなかなか難しいなと思いながらも、まあぼちぼちやっていきますかという感じでやっていくということができるようになるんですね。これが心の成熟度というものです。
日本の精神科医のすごい有名な人で神田橋條治さんという先生がいるんですけど、彼は著作の中で、「葛藤能力の育成というのは心理療法の一つの目的である。精神療法が目指すことというのは葛藤を抱え込める人間を作ることなんだ」という話をしながら、面白い掛け声として「思考は複雑に。行動はシンプルに」というのを挙げているんだよね。
これはどういうことかというと、葛藤っていうのは A の場合は B になるし B の場合は A になるし、こうだしこうだしってこう色々と条件分岐をしながらウーンって深く考え込むわけです。だから葛藤を抱え込むと思考が複雑になるんです。
その一方で、実際に行動の A をやったりやらなかったり B をやったりやらなかったりすると結局現場レベルで効果が出ないんです。混乱して色々と問題が起きます。だから頭の中では十分複雑に葛藤を抱えてあれこれ考えて、でも最終的な行動はシンプルに何か一つの方向性で動く……これができるとスムーズにいくということです。
で、逆のパターンの頭の中で葛藤を抱え込めない人っていうのはもう、「白か黒か」「全部か無か」みたいな形で葛藤を抱え込めないから思考がシンプルになります。で、思考がシンプルになる代わりに実際に動こうとするといざその場で別の考えが生まれてきたりとか問題が起きたりとかして、あっち行ったりこっち行ったり矛盾するような行動を2つ3つ同時にとっていたりする。そうすると今度は思考はシンプルで行動は複雑になります。
だから葛藤をたくさん抱え込んである程度客観的に眺めてコントロールできる人の方が、行動レベルではシンプルに結果が出る行動が取りやすいということですね。
ぼくは会社を辞める時にまさに「思考は複雑に、行動はシンプルに」ということをやった。
会社を辞めようか迷っている時、ぼくは周りの信頼できる大人10人ぐらいに相談した。1つ1つの意見を聞く度にきちんと葛藤した結果ぼくの考えは変わらずやはり辞めようと決断したのだが、その時「これは相当強い意志が必要だぞ」と思ったのをよく覚えている。
バックレずに大企業を辞めるには、母親と姉と課長と部長の承認を得なければならない。当然猛反対されるだろう。それが終わったら今度は会社の同期や先輩に謝り倒さなければならないのだ。当然すごく残念な顔をされたりヤバいやつだと思われたりするだろう。しかも即日辞めることはできないから、そんな空気の中で数日は過ごさなければならないのだ。
ぼくは罪悪感を感じやすい人間なので、これだけの壁を突破するには本当に強い決意をする必要があった。スラムダンクで安西先生が言っていた「断固たる決意」というやつだ。
ぼくは決めた。
「誰に怒られても泣かれても、絶対にこの意志は変えないぞ」
そして実際、母に泣かれても部長に怒られても、「辞めます」の一点張りで通し続け最速で会社を辞めたのである。
あれは本当に辛かったが、行動を途中で変えないでよかったと思っている。ぼくのメンタルでは会社を続けることはどうやっても不可能だったからだ。母に泣かれて「じゃあ続けるよ」と言ったところで、どうせ精神状態を悪くし体調を崩し、より多くの人に迷惑をかけ結局退職していたに違いない。
そういうわけでぼくは難しい葛藤の問題を処理できる人間なのだが、どうやらこれはサイコパスの人の特徴であるらしい。
岡田斗司夫は毎日メルマガ(今は配信終了している)で、「サイコパスの特徴は社会性の欠如にあり、例えば『それは離婚すればいいじゃないか』などとズバッと決めることができる。だが普通の人は『そうは言ってもお互い事情がね……』という風に考えてなかなか決断ができない」というようなことを書いていた。
ぼくに依頼してくれる人も、そういう風に決断ができない人が多い。ぼくがルートを教えて「なるほど、いい方法ですね」とは言うものの、「でも勇気がないんですよね」とか「それをやったら人を傷つけてしまうから」とか言ってなかなか決断しないのだ。
rentalhanashiaite.hatenablog.com
ぼくには正直、そうやっていつまでも決断しない人のことがよく分からない。勇気が必要だったり罪悪感を感じたりする気持ちはとてもよく分かるが、どこかで選ばないと仕方がないではないか。葛藤し尽くしたら一つシンプルな道を決めて行動しようぜと思ってしまう。
葛藤処理のパターンなんですけど、これは正直なかなか色々あります。で、そもそも処理をしなきゃいけないわけじゃないんですよ。
一応一番理想的な方から行くと、1番の「2つの望みを両方とも実現する」、これはつまり葛藤じゃないですね。この形で解決すればまぁウハウハなんで問題はないです。
で、もしもこの形で解決しようと思った時には2つの望みを両方とも実現するという望みを掲げて、そのルートが分からない「ルート不明」という形になります。で、ソースを探したりとかいう形になるんだけど、そうやってもルートが出てこないから葛藤になるわけです、きっと。
2番は今日のメインなので後で解説します。
3番の「覚悟を決めてどちらか一方を選ぶ」は何となく我々が普通にイメージするものですよね。結局 A か B か て迷ったらどっちかを決めるしかないという、まぁシンプルな話です。
4番の「両方の望みを少しずつ実現するような妥協案を実行する」、これは折衷案っていうやつね。両方の望みを少しずつ実現するような妥協案、折衷案を実行する。こういうやり方もあるでしょう。
最後の5番「ずっと迷い続けて何もしないでおく」、こういうパターンもあります。葛藤で動けない人はこの5番のパターンです。
で、まぁ別に場合によっては5でもいいんだよ。少なくとも話を聞いている側は自分の問題じゃないから5で何の問題もないです、最終的には。
だからあんまり「葛藤処理をせよ!」と迫って焦らせてもいいことはない。相手には相手のペースというものがあるので。まぁやれる援助というものはしますが、基本的にあんまり無理強いして押したりはしないです。
なるほど、5つもあるのか。意外と多い。
食べたいという望みとやせたいという望みがあるとするじゃないですか。これのうちのどっちを優先するかっていうのを望みの山登りをする時は決めていきます。
じゃあ「食べたい」の方にとりあえず×をつけて、「やせたい」の方はそのまま残すことにしましょう。
となると山登りはどう使うかというと、要は「食べたい」の方は無理だけどその一段上の目的だったら実現できるかもしれないよねと。
「食べたい」と「やせたい」の両立は不能だけど、「もしあなたにとって食べる時と食べてない時と比べてどう違うの?」と聞くと、人によって答えは色々だと思うんだけど、例えば「リラックスしたいんです」とか言われたとします。
そしたら「じゃあリラックスできれば食べる以外の方法でもいいんですか?」と聞いて、「そうですね」と言われたら、「やせたい」と「食べる」以外の「リラックスする」という形で少しは葛藤から逃げられるわけですよ。
これは素晴らしい解決方法だなと感動した。葛藤は綱引きである以上必ず何か手痛い思いをしなければならないと思っていたが、望みの山登りをしてその手段の目的を叶えることで、何のダメージも負わずに両方の望みを実現できる場合があるなんて! 実に鮮やかな解決方法である。
でもよく考えたらぼくも特定の問題に対してはこう考える場合があって、例えばリストカットなどがそうである。「リストカットしたい」という望みを無闇に否定してはいけないが、かと言ってやはりリストカットをし続けるのはやはり不健全だろうしぼくはできればやめさせたいと考えている。
なのでいつか「リストカットしたい」「だけど親にはバレたくない」という人が相談に来たら、「リストカットをするのは何のためなの? そうか、自分を痛めつけたいんだね。だったら筋トレをやって痛めつけるのでもいいのかな?」という風に別の手段を提案しようと考えている。
(余談だが上記の文章を書いた数日後に「心の安定を図るために叩かれ屋をやりたい」という相談を受けてタイムリーだなと思った)
逆のパターンもできます。
こんな風にしてただ片方を選ぶだけだとあまりにも悲しいので、選ばない方については手段は無理でも1個上の目的レベルで何か叶えられないかなというのを考えてみるんです。ルートがある時もあるし、ない時もあります。
実際はこの2までできたらもうOKっていうケースが多いです。ここまででだいぶ仕事したんだよ。こっから先はなかなか難しいんだよね。実際解決できない葛藤なんて山ほどある。
3番は好きな方から行ってもいいし、相手に聞いてもいいです。一応仮にだけど片側に一旦×をつけるっていう動きじゃないですか。だからこれはうまく話を進めないと、「もうこっちを諦めろっていうことですか?」っていう風に反発する人が出てくるわけ。だから「これはあくまでも思考実験であって両方の可能性を考えてみてるんですよ」っていう風に相手に反発されないように持ってこないと逆効果になるので気をつけてください。
これは本当に気をつけないといけないだろうな。少しでも反発されてしまったらもう相手に対して影響力を持てなくなってしまう。
葛藤処理の時にやっぱり重要なのは、とにかく無理に葛藤を解消させようとしなくていいということです。
「あなたの中にはこんな葛藤があるんだね」ということを安全にちゃんと2人で共有してそれを眺められるようになるという、そこが最初の一番重要なポイントになります。
「困ったね、ちょっと様子を見ようかな」って「様子を見られる」というのも大事な能力だよね。性急な判断をせずに。
で、様子を見ているとどんどん状況が悪化していくという場面も時にはあって、そういう時には最後、決断をするしかないんですよ。
最初に書いた通りぼくはまだピンと来てなくて、「葛藤はなるべく解消させた方がいいだろ。『こんな葛藤があるんだね』って言うだけだったら相手は大して満足しないだろ」と思っているが、「最初は」確かに葛藤を整理して一緒に見つめるということが大事だと思う。
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第13回が最後の講義だったので、この記事を以て「わからない」と思うための対話の感想記事は終了である。
厳密に言えば第14回の実践編が本当の最終回だが、そちらでは講義は無くタイトル通り実践しかしていないため新たに記事は書かない。興味がある方はこちらの動画をご覧いただきたい。
どんな感じだったか結論だけ簡単に説明すると、ぼくは今まで学んだ技術を使いまくって劇的に成長した姿を見せられたと思っていたが、自分の頭を使って自分の思いついたルートを伝えることばかりしており相手の頭を使わせようとはあまりしていなかった。その為めんたねさんからは以下のような評価を受けた。
最終回も無事終了。#レン話 さんは彼らしさを存分に見せながらのフィニッシュとなりました。ミクロレベルでワークをやらせるとうまいのだけど、「相手のことは相手に聞かないとよくわからない、だから聞いてみたい」という興味、心持ちの部分はまだこれから、という感じでした。まあ、こんなもんだろう https://t.co/30EP9wSst9
— めんたね(やさしい) (@mentane) 2020年10月16日
ぼくは元々「相手のことは相手に聞いても分からない場合がほとんどなので、こちらが頭を使って相手にない視点からのアドバイスをズバッとすべき」と考えている人間で、その考えは今でも大体の場合において正しいと思っているのだが、せっかくの機会なのでぼくとは真逆のめんたねさんスタイルを1度身につけておくことが今回オンラインワークショップを受けるにあたっての目標だった。両方のスタイルを身につけられれば幅が広がるし偏らなくて済むからだ。
なのでそのスタイルがあまり身につかなかったことは、残念だし勿体無いなぁと感じている。
だが同時に、人生は長いので今はそれでもいいかとも思っている。
ぼくは「これは覚えておきたい、考えたい」と思ったことはいつまでも覚えて何度も何度も折にふれ考える人間なので、これから先の人生で、「あ、そういえば『わからない』と思うための対話でこんなことを習ったな」と思い出すことが数え切れないほどあるだろう(その時には当然この記事を参照する。そのために一生懸命書いてきたのだ)。そうして少しずつめんたねさんのスタイルを身につけられるようになればいい。
本当に学びの多いワークだった。これだけ素晴らしいものを無料で受けさせてくださり、めんたねさんには非常に感謝している。どうもありがとうございました。
「わからない」と思うための対話 第12回 感想
動画はこちらから!
今回のテーマはこれ!
今日は行動とモチベーションのサポートということで、実際に前回の内容に沿ってリソースを探すっていうことをやった後に、相手の行動プランを聞き出してそれを実際に行動につなげていくとかモチベーションをサポートしていくとか、そういうことをやっていこうと思います。
久保君もお待ちかね、「実行に移させる」という話をしましょう。
久保)12回目にしてやっとですね(笑)
そうなんだよ。人に行動させるというのはよっぽどその前に十分しっかり上手に話を聞いて、関係を作って影響力も確保して相手の問題のポイントも把握して、で、「このタイミングでこの攻め所でこうやって言ったら動くんじゃないか」ということを、それも質問の形で間接的に動かすんだから。このぐらい用意周到にやるわけですよ。
アドバイスっていうのは安直なんだよ。すごく安直なアドバイスで動けばいいんだけど、動かないケースが多いんだよ、実際。だから安直なアドバイスで動かないケースのためにこういうやり方があるわけだ。
【人に行動させるというのはよっぽどその前に十分しっかり上手に話を聞いて、関係を作って影響力も確保して相手の問題のポイントも把握して、で、「このタイミングでこの攻め所でこうやって言ったら動くんじゃないか」ということを、それも質問の形で間接的に動かす】
か……すごい。これまでのわからないと思うための対話の集大成みたいなセリフだ。振り返ればこんなに色々なことを学んできたんだなと驚いてしまった。
これはフランス料理のフルコースみたいなもんです。だから全部ビタッと1から8までやれよっていう話じゃないです。場合によっては一つや二つ省いたり一個や二個だけ使ったりというのもよくやります。
実は僕は「この問いを立てる」っていう行為が個人的にも大好きで、すごい役に立つんですよ。なんでかって言うと、人間の頭っていうのは問いを立てるとその問いの答えを出そうと自動的に動いてくれるから。
例えば初詣ってあるでしょ? 初詣の時になんかこうお祈りするじゃん。
あの行為に僕は意味があると思っていて、神様がいなくてもそうやって年の初めに今年一年の願いとしてバズりたいというのを掲げて無意識がどうやったらバズるのかっていうのをずっと探してくれるんです。
頭でウンウンと考えるのは意識的にものを考えている時なんだけど、無意識っていうのはぼんやりしているときに実は気が付くとフラフラフラッとそれについて考えてくれたりする。で、その無意識の思考の方がいい仕事をしたりするんだよ。意識で考えたって出てこないからアイデアが湧いてこないわけなので。
問いを立てるコツとしては、疑問文を作ること。語尾が「?」になるようにすることですね。
意識で一定時間頑張って考える必要はあります。
意識でしばらくそうやって考えておくと、無意識も「まあこれは重要な問題で解かなきゃいけない問いなんだな」と認識します。
そうするとなんかトイレ入ってる時とかお風呂入ってる時とか気を抜いてぼんやりしてる時に、「これこうした方がいいんじゃないか」とかいう風にアイデアがふっと浮かんできたりするわけです。
そうやってちょっと自分が考えることから離れて他の何かに囚われたりぼんやりしたりしてる時にトランス状態や催眠状態に人が入りやすくて、そういう時に無意識が活性化してるんです。意識じゃなくて。
だからいつもの意識的なものの考え方に縛られずに自由な発想が出てきやすいのでアイデアが湧きやすい。
質問する時にも同じで、相手に問いを立ててもらったら相手の無意識が自然とそれに向けて答えを探して動き始めるから、その先のリソースを探すとかそういう時にもそちらの方向に引っ張っていってくれるわけですよ。だからこれは相手の無意識の舵取りをするというか、方向づけをするために僕はよくやったりします。
いい話だ。「問いを立てていれば無意識が答えを探してくれる」というのはぼくも非常によく実感している。
高校時代の演劇部で脚本を徹夜で書いていた時どうしても浮かばなかったアイディアが15分仮眠をとった後にパッと思いついたり、「死んだ後何が残るのか」という問いについて毎日考えていたら大学の帰り道で急に答えが分かったり。
岡田斗司夫が何かの動画で「ぼくはいつも色々な問いを立てているんだけど、それは無数の鍋を同時にコトコトさせているイメージ」というようなことを言っていたが、ぼくもまさにそんなイメージを持っている。
問いを立てる時はこのスライドに書いてあることに注意してください。
いきなり初っ端これをやっても出ないわけだよね。ルートが見つからないから悩みになっているのに「どんなルートがありますか?」って言っても出るわけがないじゃん。
だから望みに至るルートを質問するっていうのはこれまでに十分引っ張り起こしてきた後なんだよ。
リソースを探して問いを立てて色々と相手の頭をグルグルと引っ掻き回して変化を起こした後に改めて望みに至るルートを質問すると出てくるかもしれない。
「他にもありませんか?」って聞くと案外出てきます。で、2個目3個目に出てきたものの方が有効でパワーがあったりします。1個目2個目はすでに考えていたことがあったりする理由でも3個目ぐらいからネタ切れが起きて、でも聞かれてるからウンウンと考えた時に新しいアイデアが放り出されたりするからです。歯磨き粉のチューブを絞らなきゃいけない。
ここはある意味負荷をかける質問だけど良い負荷なんだよ。感覚としては筋トレで追い込んでる感じね。
「他にもありませんか?」と聞くのはなかなか勇気が要るなと思った。ぼくが今まで依頼を受けてきた人には「考えるの面倒だから答え教えてくれ」というスタンスの人が多かったような印象を受けていて、そういう人に「他にもありませんか?」と聞きまくると「自分が思いつかないからってこっちに負荷をかけさせないでよ」と思われそうな気がする。結構な信頼関係がないと難しいと思う。
「ルートも分かりました。あとは実行すればいいんですが、いざ実行するってなるとなんとなく気が重くて手がつかないです」ってことがよくあるわけです、人間は。
なんでかって言うと、その時に考えてたルートっていうのが曖昧で漠然としてると、具体的に何からどう手をつけたらいいかわからないっていうことが起こるからです。
だからとりあえず始めの一歩を聞くわけ。具体的に。「もし一番最初に手をつけるとしたら何をやりますか?」って。
レポートとエピソードの話があったでしょ。エピソードっていうのはなるべく具体的に映像化できるレベルでっていうやつ。
それと同じで、もう目の前にありありとそれを実行している自分が思い描けてイメージが持てる物っていうのは行動しやすいんですよ。でもイメージが持てないものっていうのは行動する時に考えなきゃいけないことが色々あるんですよ。
なるべくこっちが予め質問して始めの一歩を踏み出させるんです。一歩進めば景色が変わるから二歩目は踏みやすいんだよ。
これは物も同じで、物理学やってた人は、動摩擦係数と静摩擦係数って習ったでしょ?
止まってる状態で押すときが一番パワーが要って「静摩擦係数」っていうのが大きいんですよ。
で、動き始めると動きやすくなる。「動摩擦係数」って言うんだけど。
人も同じで、あることについて動き始めるとまあ動くんだけど、最初の一歩っていうのは重いので、ちょっと手厚くサポートしてやらんといかんということね。
最初の一歩目なのに、すごくでかくて大変なことを言う人がいるわけです。でもはじめの一歩はなるべく小さめ、控えめがいい。「やります」って言ってやらないと関係が切れちゃうんだよね 。
「やります」って言ったことは「やりました!」「やれました!」っていう話になった方が関係がいいわけですよ。だから実際にやってもらえることを「やります」と言ってもらわないといけない。行動できない人ほど大体欲張るから。
これと全く同じことがドラゴン桜にも書かれていた。
引用元↓
【過去問演習は、一日に最後まで解くな!って話。】1/2 pic.twitter.com/AiazkmCNsQ
— ドラゴン桜2(公式)最新12巻が絶賛発売中🎉 (@mita_norifusa) 2020年11月12日
さて、なぜ第一歩目が踏み出しにくいのか、脳科学の観点から説明してみよう。
人間には「恒常性」という、「常に同じであろうとする性質」がある。例えば暑くなったら汗をかいて体温を下げたり寒い時に震えて体温を上げたりするのは恒常性のおかげだ。
これは肉体だけでなく精神にも作用し、例えば「もういやだ!明日会社やめる!」と決意した人でも一晩寝たら結構スッキリして翌朝普通に出勤できるようになるのも恒常性のおかげである。
このように恒常性は人間にとって非常に良い作用を果たすが、残念ながら悪いようにも作用してしまう。
例えば「夢に向かって生きよう!」みたいな講演を聴いて「うおお!俺も頑張るぞ!!今日から毎日2時間勉強して1ヶ月後にはこうなって1年後には夢を叶えるぜ!!!」と興奮して計画表を書いたのに、翌朝起きたら「あれ?昨日のやる気どこ行った?なんならいつもよりやる気ないぞ……」となってしまったことはないだろうか?
これは、「頑張って夢を叶える」ということは「変化」なので、脳が「こいつ変化しようとしてるぞ!危ない!いつもの状態に戻さないと!」と判断し恒常性を働かせてしまうからなのだ。
意識的には「良いこと」であっても、「変化すること」は無意識的には「悪いこと」なのである。だから人は変われないのだ。
ではどうすればいいかというと、大きく変化しようとするから恒常性が大きく働き一気に戻されてしまうので、小さく変化しようとすればいいのだと思う。脳に気づかれないぐらい小さな一歩を踏み出して少し休んでからまた一歩、また休んでからもう一歩という風にすれば、恒常性の影響を受けにくいはずだ。
ところで何故ぼくがこんな専門的な脳科学の知識を持っているかというと、高校生の頃に読んだこの本に全部書いてあったからである。
https://www.amazon.co.jp/dp/B00GMATYVS/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_lnrUFbZXBYQHB
この本には「セルフイメージ」「スコトーマ」という、やる気を出すのに欠かせない2つの概念についても詳しく分かりやすく書かれており大変オススメである。人生で役に立った本ベスト3に入るかもしれないぐらい素晴らしい本だ。
ちなみにこの本では恒常性によってやる気を失わないために「恒常性がバグって機能しなくなるくらいのでかい夢を持つ」という方法が推奨されている。「小さく変化する」というのはぼく独自の考えなのでそこはご理解いただきたい。
さて、そういうわけで高校生の時から恒常性という人間の性質を知っていたぼくは、相談者にはなるべく小さくて簡単な第一歩を伝えるようにしているし、ぼく自身も小さな第一歩を踏むようにしている。
例えばこのわからないと思うための対話の感想記事を書くのも毎回ものすごく億劫なので、「まずは10分だけ文字起こしする」というのを第一歩に設定している。それさえやればあとは割と気楽に取りかかれる。
小説執筆も同様だった。最初はいきなり冒頭のシーンを丁寧に書こうとしてしまったのだが、書き始めてすぐめちゃくちゃ難しいことに気がついた。よく考えたら冒頭のシーンは登場人物の特徴やら時期やらを説明しなければならなく難しい上に日常シーンだからつまらないという、最も書くのが大変な部分だったのだ。
だから「1番書きたいクライマックスシーンのセリフのみを雑に書く」というのを第一歩にしてみたら驚くほどすんなりノリノリで書けた。あれは我ながら良い方法だったと思う。
ちなみにぼくは自分を律してやらなければいけないこと以外でも最初の一歩目は小さくしたいと考えていて、例えばバイトなんかも初日は「行って帰ってくるだけで100点だから頑張らないようにしよう」と思っている。なのに初日からフルスロットルで研修とかをされると「初日なんだからもっとゆるくしてよ!2日目は頑張るから!」と思ってしまう。
まぁバイトとしては良くないことなんだろうけど、最初からフルスロットルというのは単に気が重いだけでなく精神的に悪いのだ。
引越しや転職など、人は新たな環境に行くだけで無意識のストレスをかなり感じる生き物なのだ。何十年も一人暮らしをしていた千原ジュニアは大好きな女性と結婚し同棲したあとしばらく無意識のストレスで体調をめちゃくちゃ崩したり片耳が聴こえなくなっていたらしい。
何かに挑戦するときも必ず無意識のストレスを大きく感じているので、最初は出来るだけ頑張らないことが肝心だと思う。
行動を実際にいざ起こせたとしても、割とみんなすぐにモチベーションが下がって辞めてしまうということが多いんだよね。途中で挫折してしまうということがよくある。
じゃあなんでそういうことが起こるのかっていうと、周りにモチベーションを高めてくれてる人っていうのがなかなかいないからなんですよ。
そうすると自分で自分のモチベーションを高めないといけないから、話を聞いてる間に相手の中に自分で自分のモチベーションを高めるようなシステムを組み込んでおきたいわけ。
じゃあどうするかっていうことなんだけど、「上手くいってるぞ!」って思ってる時は割と人ってモチベーションが上がるんだよね。
「上手くいかない、全然ダメだ、効果がない」って思うとモチベーションが下がっていっちゃう。だから一つ目の質問をします。
この「小さい」っていうのがポイントです。大きい変化だったら誰でも分かるんだけど、大きい変化はなかなか起きないからモチベーションが下がっちゃう。
じゃあどうすればいいかというと、実際に起こる可能性が十分にあるような小さな変化を拾い上げて、「小さい変化だけど前に進んでるな」「ちゃんと効果が出てるな」という風に認識できると、ちょっと気持ちが上がって「よし、じゃあもうちょっと続けようかな」という気持ちになれる。だからなるべく小さく小さくさせたいんだよ、ここは。
このサインはなるべくたくさん持っておいた方が自分でモチベーションを上げるチャンスが広がるのでなるべくたくさん出したいし、大きすぎる変化のサインは大体みんな出すので、「もっと小さいサインはない?」と煽ってもっともっと小さくさせていく。
そうやって小さくしておくと、「じゃあこれも確かに前に進んでるって事になるな」っていう風に、実際にそれが自分の身に起きた時にそこでのやり取りが頭の中にどっか残ってるので、ちょっと前に進んでるなと思えるようになる。こんな風にして相手のモチベーションをサポートするということです。
ワークは上記の通りです。
「第一歩目は小さくする」ということは分かっていたけど、「小さな変化のサインを聞く」というのは全く発想になかった。確かにサインというものを決めておけば自分でモチベーションを上げてもらいやすくなるなと勉強になった。
ただ、「周りにモチベーションを高めてくれてる人っていうのがなかなかいない」「そうすると自分で自分のモチベーションを高めないといけない」というのはやっぱりキツいよなぁと思う。
「聞く技術」としては「小さな変化のサインを聞く」以上のものはないと思うのだが、「悩みを解決させる方法」としてはこれは相当弱い。
何故ならどれだけ自分で自分のモチベーションを高めやすくしたところで、ほとんどの人は1人では変われないからだ。
『夢をかなえるゾウ』の主人公の男性が変われたのは、ガネーシャが主人公の家に住み込み毎日課題を出してそれを強制的に行わせ、感想を聞いた上でフィードバックをするということを繰り返したからである。
ガネーシャのような存在がいないぼくたち一般の人間は、夢をかなえるゾウを読んだところで変われない。だから自己啓発書は多くの人にとってそれ単体では無力だとぼくは思っている。
相談業は自己啓発書よりかは強い。めんたねさんもおっしゃっているように「これをやります」と人に約束することができるからだ。長期的に根気よく相談し続ければモチベーションの維持はできるだろう。
だが、それもやはり弱いと思う。何故なら関わる時間が少なすぎるからだ。
ぼくの所属していた演劇部ではぼくを含めた何人もの人が劇的に成長したが、それは超強力な顧問の先生が何千時間という膨大な時間をかけて指導してくれたからである。あの顧問の先生でも例えば月1回1時間のカウンセリングでは人を変えることはなかなか難しかったのではないかと思う。
だからぼくは、レンタル話し相手をやってはいるが、この活動で人を根本的に変えられるとは実は思っていないのだ。
学校を創って先生として長期的に膨大な時間をかけなければ、人を変えることはまずできない。だからぼくは依頼を受けながらも、結構な無力感を感じている。
「わからない」と思うための対話 第11回 感想
動画はこれ!
今回のテーマはこれ!
今日はリソースを見つけるためのヒントを出すための小技を紹介します。
どうしてもリソースが出てこなかったら、「A,B,C」と選択肢を3つぐらい出しておくと押し付けがましくならなくていいですよね。あと、「それ以外」っていう枠を作って自由回答欄を用意しておくことでより押し付けがましさがなくなります。
この A や B や C の部分に、「ひょっとしたらこれアドバイスになるかもな」とか「ヒントになるかもな」っていうものを混ぜてもあんまり押し付けられたという感じがしないでスムーズに進みやすいし、質問される側もただ単に聞かれても何をどう答えていいのかわからない時に A や B や C などの例があるとイメージが湧くので答えやすいです。
これは前も習ったけどすごくいい方法だと思う。
これはもうちょっと押し付けがましくなるので使い方を気をつけないと反発されちゃうんですけど、「仮の話として想像してもらう」という技術があります
「Aをしなさい」と言うんじゃなくて、「もしAをしてみたらちなみにどういうことになるんですか?」とただ聞いてみるということです。
「別に全然Aはやらなくていいんですけどね」という雰囲気で言うのが大事です。
これは確かに言い方に気をつけないと押し付けがましくなってしまうと思う。
今回のワークでぼくは北村さんに「純粋な疑問なんですけど」と前置きをされた上で「こういう方法はやらないんですか?」と質問をされたが、それでもアドバイスだと感じてかなり反発してしまった。
なぜそういうことが起きるかというと、形式的にはアドバイスでなくても、「こういうことを聞いてくるということはアドバイスしたいんだろうな」と察知してしまうからだろう。
ではどうすればいいかというと、ぼくがやったように「これはもうあなたは十分に考えていると思うんですけど」と言ったり、めんたねさんがやったように「でもこれは君は採用したくないわけだよね?」と言ったり、そういう工夫をすればいいのだと思う。
3番目のステップは何のためにやるかっていうと、目的まで聞いておくと山が1段上に上がり、裾野が広がってリソースや手段がより幅広く拾いやすくなるからです。
4番目のステップはすごく重要で、リソース探しをしている時って相手が考えている解決法とは全然違う方向にこっちが頭を使って色々引っ張ろうとしても反発されてしまうんですね 。
だから相手があなたに「ここの部分でこうやって役に立って欲しいんです」っていうことをちゃんと聞いて、そこについて一緒に考えていくんです。まぁ一緒に考えるって言っても、考えるのは本人なんですけど。
また、こうやって問われると、「今じゃあこの人と私で何をやってきたいのかな」とか「どこが今この件に関して一番問題だと感じているのかな」とか本人が考えますよね。
そうやって本人にこの問題の重要なポイントっていうのを改めて自分なりに考えてもらう機会を作るっていうのが、この4番目の質問の意図です。
「今回、私に一緒に考えて欲しいのはどこですか?」というのは本当にいい質問だと思う。ぼくは誰かに相談した時かなりの確率で自分が考えて欲しいのとは全然違うところを考えられてしまうのだが、そうされると「ああ、この人は味方だな」と思いにくくなってしまう。このワークを受けるまで分からなかったけど、思えばぼくはいつも、「今回私に一緒に考えて欲しいのはどこですか?」と聞いて欲しかったのだ。
とにかく感覚としては、「少しでも役に立つかもしれないリソースは全部引っ張り出すぞ」ということです。「こんなのは些細なことすぎてありソースじゃないよ」とか、そういうことをいちいち質問する側が取捨選択しなくていいので。本当に些細なことでもいいから役に立ちそうなものは全部引っ張り出してください。
リソース探しのための質問集を2枚分用意したので、必要に応じてここを眺めながら使えそうな質問を使ってください。
感想
今回はめんたねさんに感動する場面が多かった。
ぼくの「バズりたいけどバズれない」という悩みを聞いた北村さんは、先ほども書いた通り「純粋な質問なんですけど」と前置きした上で「こういうやり方はしないんですか?」といくつか質問をされたのだが、ぼくは「それはもうとっくに考えたんだよ」と思い露骨に反発してしまった。
それを見ためんたねさんは以下のようにおっしゃった。
リソース探しの時に、聞いてる顔が一生懸命「あれは?」「これは?」って引っ張り出して、聞かれた側が「いやそれもダメです」「あれもダメです」って却下するっていう構造って、これ最低なんですよ。その構造になったら負けなんだ 。その構造にさせない立ち回りっていうのが大事なんですよ 。
今の話の中で面白い切り口っていうのは実はいくつか出ていて、ただ問題なのは、それがどんなに面白くて効果があっても久保君がそれを持って行きたいと思わないと持って行かないわけだよね。
だからいかにして相手に食わせるかっていう、そこがやっぱり重要なわけですよ。だからこそ諦めが大事なんですよ。
どんなに良いアイデアがあろうが相手が食わないと絶対に意味ないんですよ、久保くんが実行しないことは絶対に無意味なの。
めんたねさんはあんまり「絶対」という言葉を言わない印象をぼくは持っているが、この台詞では2回も連続して使っている。これがそれだけ大事なことだからだろう。
だから、この台詞のあとめんたねさんはぼくに色々質問をして「こういうやり方もあるよね」と言った後「でもそれは君は採用したくないんだろ?」と付け加えたが、これがぼくは本当に嬉しかった。今までほとんど誰もが「この方法採用すればいいじゃん」みたいな口調でアドバイスをしてきていた中で、めんたねさんはぼくがどういう方法をとりたいかちゃんと理解して尊重してくれたことが分かったからだ。このセリフによってめんたねさんはぼくの味方ポジションに入ることができた。本当にすごい。
ただこのことはぼくも前から理解していて、ぼくも人の相談に乗るときは「〜っていうやり方もあるんですけど、でもそれはやりたくないんですよね笑」などとよく言う。相手の「やりたくない」という気持ちを尊重したいと思っているからだ。
あと、北村さんの「決裂した人の幸せそうなツイートが流れてくると心がかき乱される」という話を聞いた上でのめんたねさんの解説や質問もすごかった。
長いので詳しく書くことはしないが、「どす黒い気持ちになってしまう」という欠点を能力に置き換え、「でもどす黒い気持ちになっているのは嫌だろうから、どす黒い気持ちを便利な時に呼び出して使って、要らないときは静かにしてもらうという使い分けができたらいい」という風に言ったあと、じゃあどういう時は静かなのか例外を探し、長く続いた質問の末に見事に探し当てるという流れが美しすぎた。
ぼくはどう頑張っても北村さんのリソースを探すことができなかったが、やはりここは経験と技術の差だろう。素直に見習いたいと思った。
「わからない」と思うための対話 第10回 感想
動画はこちら!
今回のテーマはこれ!
今回やるのはルート不明パターンです。
ルート不明の時の対応方法は、基本は「あきらめる」だと思ってください。
本人が分からないんだから、そのままだと基本は諦めるしかないんですよ。話を聞く側のポイントとしては、「なんとしてでも諦めさせずに問題解決をさせてやろう!」と“思わない”ことです。
相手が分からないって言ってるんだから、相手の分からなさを尊重しないといけない。
とはいえ一応、「見えていないだけでこういうルートがあることを知ったらやるかもしれないな」っていうケースはあるわけでしょ。こういう時にはルートを提案する、アドバイスや指示をするというやり方をやります。
ただこれはすごく険しい道なんですよ。久保君もTwitter 上で色んな人からアドバイスをされて「勝手に押し付けがましくアドバイスをするな!」とよく怒っているわけじゃないですか。そういう風に、人にアドバイスや指示をすると嫌がられたり怒られたりする可能性っていうのは結構あるんですよ。
めんたねさんはワークショップを通して何度も「相手が分からないと言ったら諦める」「聞く側は話す側より一生懸命にならない」「問題解決しなくてもいいやと思っておく」というようなことをおっしゃっているが、ぼくはどうしてもこのスタンスに納得できない。
言いたいことは分かる。話す側が分からないと言っているのに聞く側に分かると言われてしまったら癪だろうし、聞く側が一生懸命になりすぎたら話す側は引いてしまったり頭を使うのをサボったりしてしまうかもしれない。
でもやっぱり、「相手が分からないと言っても諦めない」「聞く側は話す側より一生懸命になる」「なんとしても問題解決しなければいけないと思っておく」というスタンスの方がいい場合はたくさんあると思う。
なぜなら、問題解決に一生懸命になれる人ばかりではないからだ。これまで何人かの相談に乗ってきてぼくはそれを強く感じている。
その問題について深く悩んでいるのに、「できればこの問題が解決したらいいな」ぐらいで、本気で問題を解決しようという強い意志を持っていなかったり頭を働かせるのを面倒がったりする人が多いように思う。
そういう人に対してめんたねさんの提唱する引きスタンスで相談を聞いた場合、「じゃあ諦めましょうか」と言ったら相手も「分かりました、諦めます」と引いてしまう気がする。相手に諦められてむしろやる気が出るのは問題解決に相当前向きな意志を持つ強い人だけなような気がする。
また、ぼくはまだそういう人と話したことはあまりないが、問題解決の意志が弱いどころか自ら破滅に向かっていく人もいる。
例えば「もう自分なんかダメだ、死んだ方がいいんだ」などと言っている人には、相手が引いても嫌がっても聞く側が相当熱くしつこく引っ張らないといけない場合がけっこうあると思う。
ぼくのこの主張に嫌悪感を持つ人は多くいるだろう。それはたぶん、今言ったようなスタンスをとって相手を救うどころかむしろ傷つけてきた無神経な人を実際に見てきたからだ。
湊かなえの『告白』に出てくるウェルテル先生みたいなのは本当にダメだ。何の信頼関係も技術もないのに引きこもりの生徒の家にしつこく押しかけてはいけない。それはただの自己満足であり害悪でしかない。
だが、かと言って引けばいいのかと言うとそうでもない。
ぼくは高校時代に1度だけ演劇部の休部を検討したことがある。顧問の先生に理由を聞かれ初めは「言いたくありません」と断ったが、「話すだけ話してみてよ」と半ば強引に言われたので話すことになった。
これは一見するとヤバい対応である。休部理由を話したくないと言っている生徒にやや強引に理由を話させているのだから(もちろん再度本気で断ったらそれ以上の無理強いはされていなかったと思うが)。
だが、顧問の先生にはぼくとの信頼関係と技術があった。ぼくは素直に理由を話し、先生はそれを熱心に聞いてくれぼくの心を軽くしてくれた。結局1週間ぐらいは休部をしたが、あの時先生に話をしていなかったら休部期間はもう少し長かったかもしれない。
このように、「解決する側が悩んでいる人より熱心になることで問題が解決する方向に進む」というケースはある。「ある」というか、このケースの方が多いとぼくは思う。
とは言え引きスタンスが役に立つ時や引きスタンスでないとうまくいかない時は確かにあると思うので、このワークショップでのやり方はしっかりと吸収していくつもりだ。
アドバイスっていうのは基本的には相手の耳が開くタイミングで行います。
「この人からこの件についてアドバイスが欲しい」ってまさに思っているその瞬間にその情報を出すと聞いてくれる可能性が高いんですね。「お腹が減っている時に飯を出す、満腹の時には飯を出すな」ということに尽きます。
ここはぼくにクソバイスをしてきた人に何度も読んでもらいたい。ぼくは満腹だと言っているんだからご飯を出さないで欲しい。
左側に悪徳セールスマンみたいなのがいますけど、何か人から言われたことに乗っかってそれを受け入れるって言うことに人間は基本的に抵抗感があるんですね。
それに対して自分で発見した見つけたアイディアっていうのは後生大事にとっておくわけです。四つ葉のクローバーを見つけたら嬉しくて大事に保管して本に挟んでしおりにしたりするわけですよ。
アドバイスをする時は、相当反発を招きやすいところを本当にうまいこと掻い潜っていかないといけないんです。だから極力したくないんですよ。
確かにぼくにもレンタル話し相手というアイディアは自分で思いついたから固執しているという面がある。
だけど一方で、人からもらったアドバイスにいつも抵抗感があるかと言えばそうでもない。尊敬する人から本当に納得できるアドバイスをもらった場合はぼくはすんなり受け入れて後生大事にしている。
なんだか、めんたねさんは人のレベルを高く設定しているのか低く設定しているのかよく分からない。
「分からないということを尊重する」「こちらがあきらめれば向こうは熱心になる」というのは相手のレベルを高く設定しているからこそ出てくる考えだが、「人は人から言われたアドバイスを受け入れにくい」というのは相手のレベルを低く設定しているからこそ出てくる考えだろう。
ぼくは真逆で、諦めに関しては「こちらが諦めれば相手も諦める」という風に相手のレベルを低く設定しているが、アドバイスに関しては「人は耳を開いている状態なら人から言われたアドバイスを割と受け入れる」という風に相手のレベルを高く設定している。
めんたねさんはぼくといちいち真逆で面白い。
というわけでルート不明時の対応方法3番目は、「自分でルートを発見させる」です。
なるべくだったら自分でルートを発見させて自分で「この道で行きたいです」って言ってもらえれば反発される心配ないですよね。こっちはルートを発見するためのお手伝いだけをする。黒子に徹する感じです。
逆張りばかりして申し訳ないが、自分で見つけたルートだからこそ不安ということはないのだろうか。
以前ワークとは関係ないZOOM配信で選択的夫婦別姓についてめんたねさんたちと話し合った時、「自分で選択をしたくない人がいる」という話が出た。そういう人は自分でルートを見つけるより、「このルートを進みましょう!」と人に押し付けてもらった方が安心できるのではないだろうか?
話を聞く側は「がんばれがんばれ」ってボンボンを振ってる側になって、実際に掘って宝を探して見つけるのは本人にやってもらいます。
質問する側っていうのはいつも相手の問題を解決するために頭を使うんじゃなくて、相手に頭を使ってもらうために頭を使うんです。ここだけは忘れないようにしてください。
自分で頭を使うのがかなり苦手な人に対してはどうすればいいのだろう。例えば10年引きこもっている人はたぶん自分で穴を掘りたくないだろう。やはり設定している人間のレベルがかなり高い気がする。
こういう状況を思い浮かべてください。
友達の家に遊びに行きました。友達の留守中に冷蔵庫を見たら色々なものがぎっしり詰まっているのでその中からなんとなく使えそうなものを探してみたら、カレーに使えるものがいっぱい出てきました。
なのでそれを引っ張り出して、机の上に置いておきました。そうすると帰ってきた友達が「あ、カレー作れるな」と思ってカレーを作り始めました。
今日やる作業はこれと同じような感じです。
冷蔵庫にあんまりぐっちゃぐちゃに物が入っていると、どこに何が入っているかも分からないからカレーが作れるって気づかないわけですよ。
でもしっかり整理してカレーの材料だけ引っ張り出してやれば、「あ、こんな風にしてカレーが作れるね」って分かるわけです。
もちろん作りたくなければ作らなくてもいいです。カレーを作れとは言われていないですから。ただ、「カレーを作るだけの十分な用意がありますよ」ということには気付かされたわけです。その上で作るか作らないかあなたのお好きにどうぞという話。これだとあんまり押し付けがましくならないですよね。
今日は「リソース」という言葉をよく使います。
これは直訳すると「資源」なんていう風に訳されますが、簡単に言うと「役に立つもの」ということです。
今回だったらカレーライスを作るのに役に立つものとして、リソースとして、お米とかカレー粉とかにんじんとかじゃがいもとかがあったってことね。
もちろん、鍋や炊飯器やピーラーや包丁やスプーンやお皿もカレーを食べるためのリソースになります。
なおかつ、「その人がカレーの作り方をある程度知っている」、もしくは「カレーの作り方のレシピをインターネットで検索して調べることができる」、これもカレーを作るために役立つリソースになります。個人の能力もリソースなんです。
こんな風に、何かの問題を解決するとか何かを実行する時にそれに役立つありとあらゆるもののことをリソースと言います。
で、問題が解決できないと悩んでいる時っていうのは、このリソースが足りなくなっているわけだよね。
問題を解決するのに役に立つための材料が見えなくて「解決できない」ってなってるわけ。
そこで、本人の中に冷蔵庫があって本人が既に持っているリソースというものを引っ張り出す質問をしてねとうのが、今日やることになります。
これは非常にいい例えだと思った。「その人が持っている数多くのリソースは引っ張り出して並べないと本人に気づいてもらえない」というのはぼくも前から思っていたことだったけど、冷蔵庫の例えはかなりしっくりくる。
相談に乗っていると、「いや、このリソースあるじゃん!なんで使わないの!?」と思うことが頻繁にある。最も多いのは「ネット」と「本」だ。
現代の日本において「方法が分からない」ということはまずあり得ない。誰もがネットにアクセスでき、図書館で無料で本を借りられるからだ。調べても分からないのはバズってフォロワーを増やす方法ぐらいである。
にも関わらず、「方法が分からないんです」と言う人がけっこういる。そういう人に「ネットや本で調べてみましたか?」と聞くと、大抵は「まだです」という答えが返ってくるが、調べるということの価値を低く見積もりすぎである。
『夢をかなえるゾウ2』にこういう一節がある。
「本を読んだくらいで何が解決するっていうんですか」
するとガネーシャは不思議そうな顔をして言った。
「いや、むしろ本読んで解決せえへん問題なんてあれへんで」
そしてガネーシャは図書館を見上げて言った。
「仕事、お金、人間関係、幸せ……人間の悩みなんちゅうのはいつの時代も同じや。そんで本ちゅうのは、これまで地球で生きてきた何億、何十億ちゅう数の人間の悩みを解決するためにずっと昔から作られてきてんねんで。その『本』でも解決できへん悩みちゅうのは何なん? 自分の悩みは地球初の、新種の悩みなん? 自分は悩みのガラパゴス諸島なん?」
まぁ、実際には本を読んで得た知識を実行に移すことこそが大事で難しいので本を読んだだけでは解決しないのだが、せっかくのリソースを使わないのはもったいないなとぼくはいつも思うのである。
「使えるのに使わないリソース」でもう1つ強く言いたいものがある。ぼくだ。
ぼくを使い続ければいつかは高確率で悩みが解決するというのに、なぜ使わないのだろうか。「使ってね!」と冷蔵庫の中から常に叫んでいるというのに。
そういうことを考えるにつけ、やはり人は「問題を解決しようとする意志が弱い」のだと思ってしまう。だから冷蔵庫の中で調理されるのをじっと待っているだけではダメで、「料理しようぜ!」と強くアピールしなければならないのだ。
こう聞くと例外がけっこう出ます。これは掘れるだけ掘った方が得です。だってリソースは無いよりあった方がいいから。
これはなぜかやったことがないな。今度やれる時があったらやってみよう。
それでも悩みが深い人っていうのは「全部ダメなんです」って言いたがりなんだよね。そういう時にどうするかって言うと、まず「全部ダメ」っていうのを2つに分けるっていう感覚を持つんです。
「全部ダメ」の中に「特にダメ」っていうのがあるでしょ。で、「特にダメ」が語られると残りがなんなのかって言うと、たぶん「まだマシ」なんですよ。そうすると「全部ダメ」の中でも左側の「まだマシ」っていうのはけっこうリソースがある可能性があるわけ。
勉強が嫌いな子どもに勉強を教えに行った場合で考えてみようか。
「君は勉強嫌い?」って聞くと、「うん、嫌いです。全部嫌いです」って言うわけ。その時にいきなり、「全部嫌いって言っても中には嫌いじゃない科目もあるでしょ?」って言うと反発するんだよね。「全部嫌いなんです」って言いたいんです、やつらは(笑)
じゃあどうするかって言うと、「なるほどね。じゃあいろんな科目の中で特に1番嫌いなのは何?」って聞くわけです。
久保)なるほど、嫌いっていうベクトルに合わせるわけですね!
そうそう、「嫌い」って言いたいから。
で、「勉強する科目の中でも1番嫌いじゃなくて手をつけてもいいかなって思えるものから一緒にやろうか」って聞くと、割と乗ってきたりするんだよね。
もちろんいきなり例外から入ってOKなケースもあります。それは相手の様子によるんですが、慣れてくるとだんだん勘が働くようになります。
これはめちゃくちゃ感心してしまった。めんたねさんは一貫して「相手の感情を逆撫でしない」「相手から反発されないようにする」ということを極めて大事にしているが、中でもこれは本当に上手い手だなと思った。
親や先生はこれが本当に下手である。子どもの感情を逆撫でして反発させる天才だと思う。
なかなか負荷の高そうな質問である。かなり上手くやらないと質問されるのを嫌がってしまうだろう。
うまくいかない時に「なんでうまくいかないと思いますか?」って聞くとすごく暗い気持ちになっていくんですよ。で、絶望的に問題解決できないような感じになってくるわけ。
ただ例外を引っ張り出してうまくいったケースについてワケを聞いてみると、何かそのうまくいったっていうことをこの先2回3回4回と回数を増やして繰り返すためのヒントが出てきたりするわけです。
これはどうなのだろう。
今回ぼくが話した「アルバイトをせずに済むようになりたい」という話で言えば、確かに例外はたくさん出てきたがぼくはその例外について全て聞かれる前から詳細に分かっており、同じ手が使えないか何度も考えた上で「もう使えない」と判断したから相談したのである。なので正直「そこを掘ったって何も出てこないんだけどなぁ。過去にうまくいった事例から今使える手を思いつけないバカだと思ってるのかなぁ」と思ってしまった。
他の人はこうは思わないのだろうか。
無力感のある人は過去の成功事例を軽視する傾向にあるらしいので有効かもしれないが、他の人はどうなのだろうと疑問に思った。
山を登る時に「2本の足があって歩ける」っていうのもリソースなんだよ。足がなかったら歩けないから。
「ここから先がリソースだ」みたいなラインはどうでもよくて、「とにかく役に立つものを全部引っ張り出す」っていう感覚をリソース探しの時は持ってほしい。「2本の足があって歩ける」っていうレベルでいいから。そういうレベルで見ないとリソースが見つからない人がたくさんいるから。それをちょっとでも大きくしていけばいいんだよ。
この話を聞いた時は「『2本の足があって歩ける』レベルは流石にバカにしてないか?」と思ったけど、よく考えたら「ネットや本で調べ物ができる」というリソースも見つからない人が大勢いるから、やっぱりこのレベルでいいんだろう。
「どうにもこうにもリソースが出てこない」っていう、すごい苦しそうな口調の人がいるわけよ。その時に最後の手段として使うのがこれです。
これはとても良い質問だと思う。
たまに気まぐれでTwitterの病み垢を見てみると毎日ネガティブなことしかつぶやいていない人が大量にいて、こういう人にはどれだけ質問してもリソースが出てこないかもしれないなぁと勝手ながら思ってしまうが、この質問であれば喜んでスルスル答えてくれそうな気がする。
この「〜する能力」と言ったからといってAさんが「確かにそうですねってと飲み込んでくれるかどうかは分からないんだよね。
ここはいつでも難しいところで、何のためにこのワークをやるのかって言うと、相手がダメなんだとか無理なんだとか欠点なんだとかいう風にネガティブな意味合いを持って語っていることの中にもポジティブな意味やうまく使える状況を探すっていう発想を持ってもらうための思考の練習っていうのかな。トンチみたいなものなんだよね。
これやってると上手くなるんだよ。やらないと向こうが「もうダメなんです」っていう雰囲気で何かを語った時に本当にダメな気分がしてくるわけ。
でも慣れてくると、向こうが「ダメです」っていう雰囲気で話してても、「それをうまく使って何かできないかな」という風に聞けるわけ。
「使えるものをなるべく使う」、ユーティライズなんて言うんだけど、そういう発想をなるべくここで持って欲しいなと思います。
「欠点を『〜する能力』と言い換えるなんてそんなバカな」と最初は思ったけど、やってみると楽しかったしかなり深かった。なるほどこれは面白い。
どういう能力に言い換えればいいのか分からない場合も、めんたねさんがおっしゃった「欠点として語ったことの裏返しを考えてみる」という手筋なら色々思いつく気がした。
でも、上記のように言語化や理論化はしていなかったけど、「あるケースでは欠点になることもあるケースでは長所になる」という考えはもともとぼくも持っていた。
そもそもぼくは自分に致命的な欠点はないと思っている。「アルバイトにやる気を持てない」という欠点には「アルバイトをせずに済むように頑張る原動力になる」というメリットがあるし、「家事を苦痛に感じる」という欠点があるおかげで「秘書にお願いしよう」という発想になり仕事に費やす時間を増やすことができるのだ。
ぼくがアルバイトも家事も大好きな人間であったら、ぼくの夢は遠ざかってしまう。ぼくはまだ自由に生きられない身なので欠点に非常に苦しめられているが、自由に生きられるようになればぼくの欠点は長所になる。ぼくは自分の夢にとって非常に都合の良い性格や能力を持っているのだ。
ぼくはそう考えているので、親にどれだけ「あんたの欠点はね……」と言われても全く意に介さないのである。
このことは何度も親に伝えているのに全く理解されないのを非常に不満に思っているので、今回北村さんにぼくの欠点を良いように言い換えてもらったのは嬉しかった。ワークの時間はぼくに複雑な思いを持っている人もちゃんと悩みを聞いて優しくしてくれるので都合がいい。
あとワークの内容とは関係ないが、めんたねさんが紹介した、「ミルトン・エリクソンは色々な障害を持ち弱く見えるが、それによって治療相手に『自分の方が強い』と思ってもらえるので心理的治療にはむしろ都合がいいと本人は考えている」という話には感動した。これは本当にいい話である。
ぼくは自分の身体が小さいことや喋り方が幼いことによってかなりの損失を被っている。この2点がなければこの性格を持ってしても人からナメられることはだいぶ少なくなっているだろう。
そのことは極めて悔しいのだけど、ぼくはこれでいいのだと思っている。なぜなら、その方が相手にとってサービスになるからだ。
『夢をかなえるゾウ』の作者の水野敬也氏はブログ『ウケる日記』のある記事でこのように書いている。
僕は過去の著作でも、
「成功者が上から目線で成功する方法を語るのではなく、何も取り柄の無い人間が人に役立つ情報を伝える」
ということをスタンスとして貫いてきました。
しかし、自分の弱みであるルックスを隠して評価を高めようというのは、
「自分の恥をさらすことが人に勇気と安心を与える」という信念に反するものだと気づかされたのです。
物ごころついた頃より、僕は「笑わせる」より「笑われたい」と思ってきました。
笑われることは見ている人に優越感を抱いてもらえるので
その分「サービス」としての価値が高いと思うからです。
(引用元:お金持ちになる方法 | 水野敬也オフィシャルブログ「ウケる日記」Powered by Ameba)
この精神である! ぼくはこの精神を大事にしているのだ。
ぼくは今は成功していないから萎縮させることはなくナメられているだけだが、成功した後はどうやったって相手を萎縮させてしまう。「こんな大成功した偉い人に反発するようなことを言っちゃダメだよな」と少なからず思わせてしまう。
ぼくはそれを非常に危惧しているのだ。反対意見はどんどん言って欲しいし、ぼくの欠点も遠慮なく指摘して欲しい。際どいイジリやツッコミもガンガンして欲しい。そうしてもらわなければ相手と最善のコミュニケーションが取れないし自分が成長できなくなってしまうし、お互い楽しくなくなってしまう。
だからどれだけ成功しても偉くなっても、適度にナメてもらいたいのだ。その時、身体が小さく喋り方が幼いという「欠点」は「長所」になる。ぼくが今ただナメられている状況を我慢できているのは、その未来を楽しみにしているところが大きい。
「今のうちに散々ガチでナメればいいさ。成功したらこのナメられる要素がちょうどいい具合に機能してぼくは誰よりも親しまれ愛させる人になるからな!」
ぼくはずっとこう思っている。
こういう体と性格に生まれて、本当に良かった。