「わからない」と思うための対話 第7回 感想
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今日は「望みにも階層があるよ」ってことを教えます。
例えばある男性がいて、「もっと妻が自分に対して優しい言葉をかけてほしいんだ」という望みを持っているんだけど、その望みが叶う可能性が低いとしましょう。
こういう時は、「1個上の望み」を考えてみるんです。
どういうことかって言うと、ある望みっていうのは、その望みを叶えることによって手に入るものの「手段」だということです。
「じゃあもしも奥さんがもっと自分に対して優しい言葉をかけてくれるようになるとあなたにとってどんないいことがあるの?」とか「今とはどんな風に違ってくるの?」って質問します。
そうすると、「ああ、安心できますね」とか答えるわけ。そうすると「この人の望みは「安心したい」というものなんだなと分かるでしょ。
こうやって「手段」が下にあって「目的」が上にあるっていう風に図に書けば、一段上の望みっていうのが分かります。
で、「もし仮にこの『妻が自分に対して優しい言葉をかけてくれる』っていうのが実現しなくても、家にいて安心して過ごしていられるんだったらそれはそれでいいですか?」って聞いてみるわけです。
この時、「それでいいですよ。奥さんの声がけは全然変わらなくても、安心した心の状態を常に作れるようになれれば私は安心できます」って言われたらこっち(右)から登って行けばいい。別のルートでね。
この時何が起きたかって言うと、こっち(左)の望みがこっち(右)の望みにシフトしたわけ。
こんな風に、一個上の「安心できる(安心したい)」っていう目的を経由して望みを横にずらして新しい他の望みを持ってもらうことができます。
この時、「もっと妻が自分に対し優しい言葉をかけて欲しいんだ」「いや安心して心の状態を作れるようになりなさい」って、いきなりこの下段の部分で代替案を出して押したり引いたりすると、なんか対立構造になっちゃうんだよね。
そうじゃなくて、必ず1個上に上がって「あなたはこういう目的を持っているんだね。私はこの目的に協力すればいいんだね」っていうことをしっかり踏んでから下段の別のルートで登っていくっていう風にすると、こっちがアドバイスや提案をするにしても通りやすいです。
ワークの最中も言ったけど、ぼくはこの手法をとても頻繁に使われていて、すごく腹が立っている。
「レンタル話し相手やってるんですよ」
「それはなんのために?」
「学校を作るためです」
「それだったらレンタル話し相手じゃなくて別のことをやった方がいいよ」
何度このやりとりをされたことか!
ぼくはめちゃくちゃ考えた上でその手段を選んでるのに、「君の目的はこれでしょ? だったらその手段なんかよりこっちの手段の方がいいよ」って簡単に言うなよボケ!! といつも思っている。
そりゃ気持ちは分かるけどさ……。ぼくだって依頼者からの相談を聞いて「その手段で望みを叶えるのは無理じゃない……? 別の手段を考えた方が良くない……?」って思うこと結構あるけどさ……。
もうちょっと相手の考えた手段を尊重しようよ……「望みの横ずらし」を即座にやられたらその時点でその人のことは敵ポジションとしか思えなくなるんだよ……と思う……。
だからめんたねさんもおっしゃってたけど、「望みの横ずらし」をするのは、その人が考えた手段についてまずは一緒に考えて、「やっぱこの手段は無理だわ」と本人に諦めさせてからが理想だと思う。
でも諦めさせるのは相当時間がかかって実際には無理だろうから、実際には「その手段で考えてるのね。その手段もすごくいいと思うんだけど、一応他の手段も考えてみない?」みたいな言い方をすればいいんじゃないかなと思った。
今は1つの手段に1個の目的だったんだけど、時には1つの手段に2つ以上の目的があるケースがあります。
例えばさっきの例だと、「じゃあもしも家で安心できるようになれば別に奥さんが自分に対して優しい言葉をかけてくれなくても大丈夫ですか?」って聞いた時に「ダメです」って答える可能性があるわけです。
その時ってたぶん、この手段で達成したい目的っていうのが「安心できる」の他に別のものもあるからなんですよ。別の手段にしちゃうとこっち(右の目的)が叶わなくなっちゃうからダメなんです。
例えば、「妻には子供の模範として行動して欲しいんです」とか、そういう目的があるかもしれない。
ぼくなんか、「レンタル話し相手で成功する」って手段の目的は
・お金を稼ぐ
・有名になる
・ファンを作る
・モテる
・彼女を作る
・周りの人を見返す
・学校を作る
ぐらいたくさんあるから、「レンタル話し相手で成功する」以外の手段は絶対に取らない。これだけの目的を一斉に叶えられる最高に効率の良い手段だからだ。
だけど、こうやって1つの手段で何もかも叶えようとしすぎるのは危険かもしれないとも思う。
大学4年生のヒッチハイクをした時、車に乗せてくれたおじさんがぼくにヒッチハイクをした目的を聞いてくれた。
ぼくはそのヒッチハイクに4つぐらいの目的を詰め込んでたからその目的を全部バーッと話したんだけど、そしたらその人がこう言ったのだ。
「全部の目的を1つの手段に結びつけなくてもいいんじゃない? なんか、無理やりこじつけてる気がする」
ぼくはこの言葉にかなりハッとさせられた。「このヒッチハイク中にこの目的を達成しなくちゃいけないんだ」と思い込んでいたけど、よく考えたらその目的のいくつかは、別にヒッチハイク中に達成できなくてもなんの問題もなかったのだ。帰ってからだって普通に達成できる目的だった。
おじさんの言葉でぼくは急に視野が広くなって楽になり、ヒッチハイクをのびのびとしたあと、帰ってからゆっくりとそれぞれの目的を違う手段で達成しようとするという賢明な選択ができたのだ。
こういうことって、ぼく以外の人も結構あるんだと思う。
このスライドの例で言えば、この男性は「いや、この2つの目的があるから奥さんには絶対に優しい言葉をかけてもらわないといけないんです!」と頑なに言い張るかもしれない。
でもそれぞれの目的をきちんと検証していけば、必ずしもその手段にこだわる必要はないのだ。
「安心したい」という目的を達成するためには「安心できる心の状態を作る」という手段を選べばいいし、「子供の模範として行動してほしい」という目的のさらに上は「子供に立派に育ってほしい」という目的があるだろうから、その目的を達成するためには、例えば「優しい言葉をかけることの大切さを自分自身で懇々と説く」とかいう手段を取るのでもいいかもしれない。
こうやって手段を細分化したり、聞いた目的のさらに上の段にある目的を聞いたりすれば、実現可能性の低い手段を取る必要はなくなる。現実的で楽な手段をとればいいのだ。
まぁぼくの場合は「レンタル話し相手で成功する」が最も現実的で楽な手段だと思うから、絶対に手段を変えないけど。
お金って典型的な手段なんですよ。お金を使って何かを買ったり何かをやったりするわけでしょ。
「じゃあお金がもし手に入ったらどんないいことがありますか?」って聞くと、「とりあえず何にでも使えるし」とかいう漠然なことを答える人がいて、このケースってたぶん目的が曖昧なんです。
目的がそもそもないので、そういう人っていうのは「とりあえずなんか望みを言え」って言われたら「お金がほしい」って言っとくみたいな、そういう風な答え方をしている可能性が結構高いんです。
だからお金を手に入れたからって、そのお金を使って何をやりたいかっていうのはまだ見えてないんです。
ホリエモンの本で「お金を稼ぐ方法はたくさんあるけど、お金を稼いで君は一体どうするの?」みたいなタイトルのやつあったな。読んでないけど。
「お金を稼ぎたい」っていう相談は今まで1件もきたことないんだよな。それはぼくがお金を持ってないことが分かるからだろうな(笑)
いつかお金持ちになったらそういう相談もたくさん来るだろうから、その時は「お金が入ることでどんないいことがありますか?」と聞いてみよう。
全てを抽象化していくと最終的には、幸福とか快感とか、そういうざっくりとした大きな話になります。
ただそれを具体的な手段に落とし込んだ時には人によって色々な形で分岐していて、その幸せになるための望みの分岐の仕方っていうのはその人の個性そのものだったりするわけですね。
どういう時にこの山登りをするかっていうと、
①今の望みが実現しにくい時
②今語られた望みがさっぱり意味が分からない時
基本的にはこの2つになります。
この時、「なぜ?」とかいう聞き方をしてしまうと、「純粋に理由を聞いている」と捉えられ図に「責められている」とか感じてしまう可能性があります。
なので、「その望みを叶えるとどんな良いことがあなたにあるんですか?」とか、「その望みを叶えるとあなたは今とどう違ってくるんですか?」なんて聞くと、1個上の望みが語られやすいです。
だから変に「責められた」とか萎縮させないようにしながら一段上の目的を聞くためにそういう聞き方をするって言うだけなので、自分が「ああ、そういうことね」って理解できるところまで登ればいいです。
ワーク中に「例外を考えたら『死にたい』っていう望みが思い浮かびました」って言ったけど、もう1つ例外があった。「人を助けたい」だ。
世の中にはナイチンゲールやガンジーなど、自分の身を削ってでも人を助けたいとか世の中を良くしたいと思っている人がいる。そういう人は自分の幸せなんか望んでいない。
ここで
「いや、そういう人は人を助けることが生きがいになっているんだよ。結局自分のためなんだよ」
と思う人もいるかもしれない。もちろんそういう人もいるだろうが、世の中には本当に生きがいとかではなく使命感で人を救っている人がいるのだ。
身近な例で言えば、例えば夜回り先生がそうだ。彼は何人もの青少年を救っている一方で、何人もの青少年を亡くしている。ドラッグなど本当に危ないことをやっている人にも多く関わっているからだ。
夜回り先生はこう言っている。
「私は死んだら地獄に行くんです。だって何人もの生徒を死なせてしまったんですから」
そんな修羅の道を、生きがいだけで進めるわけがない。進めば進むほど、幸せどころか不幸せになることが分かっているのだから。
それでもそういう生き方をやめないのは、彼を動かしているのは「使命感」だからだろう。
「幸せになりたい」ではなく、「人を助けたい」というのが最終的な望みである山もあるとぼくは思う。
北村さんの話を聞いたけど、シンプルすぎてすんなりできてしまった。もっと複雑な話を聞いてみたかった。
ワーク以外で試してみると派手に転びそうだから、失敗が許されるワークで難しい話に挑戦してみたい。予定していた回数より増えるかもしれないらしいし、第8回目以降のワークのどこかでチャンスがあったら、今回学んだ技術をまた使ってみたい。