「わからない」と思うための対話 第9回 感想

 

動画はこれ!

 

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今回のテーマはこれ!

 

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前回は自分の望みと他人の望みを区別するという話をしましたが、今回はそこの延長線上の話です。

 

 

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例えば、男性と女性のカップルがいてプレゼントお互いに贈り合うという事があったとしましょう。その時に自分は「すごく楽しかった、またやりたい」と思っても、相手の彼がどう思っているかというのは実はよくわからないんですね。

同じ出来事なんだけど、彼の方はひょっとしたら「出費が痛いなあ」なんて思っている可能性もあるわけです。

こういう風にして、同じ事実や出来事を見ていても人によって見え方や考え方や捉え方は違うわけです。これが最初の大前提になります。

 

この視点はいつも持っていて、楽しく会話した後も「相手は本当に楽しかったのかな……? 演技じゃないかな……?」といつも怯えている。

ただし相手の表面的な態度を全く信用しないのもやりすぎなので、同時に「たぶん本当に楽しかったんだろう」と安心してもいる。

このバランスはどちらに偏っても不幸になってしまうと思う。

「本当に嬉しかったよ!あなたのことを愛しているよ!」とどれだけ言われても全く信じられずに「私は人に迷惑しかかけてないし誰からも愛されてないんだ……」と思い込んでしまう人がいるけど、それは謙虚を通り越して不合理で、すごく辛い生き方だと思う。 

 

 

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人間って、自分の中の「こうなってほしいんだ」とか「こうしたいんだ」とかいう欲や望みが強ければ強いほど、そこに関わっている他者の視点、「他者がその件について何を考えていてどんな感情なのかとか何を望んでいるのか」という他者視点がどんどん抜け落ちていくんですね。

この他者視点が抜け落ちた結果、問題がうまく解決しないでその人が悪循環のループにハマっているみたいなことはよくあります。

 

この「他者視点の重要さ」は、ぼくの愛読書『夢をかなえるゾウ』でも強く説かれている。

 

 

「ワシ、人の心読めるやん? まあいつも読んどると大変やから気が向いた時だけにしとるけどな。人が何考えとるか見ると、まあひどいで」

「どういうことを考えてるんですか?」

「まあ、ほとんどが自分のことやな。もっといえば、自分の欲がどうなっとるかっちゅうことやわ」

(中略)

「自分らは、自分にサービスすることばっかり考えとるやろ。自分のエゴや欲を満たすことしか考えとらんやろ。でもな、もっと他人にサービスすること考えて、そのことを自分の喜びにしてかんとあかんで。『人の欲を満たすこと=自分の欲を満たすこと』 このガネーシャ方程式が体に染み込んでたら、あとはほっといても成功するで」

 

 

この一節はこの本の中でも特に印象に残っていて頻繁に思い出すのだけど、成功に限らず人間関係を円滑にするコツもまさにこれだと思う。地獄のような人間関係に悩んでいる人を見て「ああ、この人は自分の視点にしか立ててないな……」と思うことはよくある。

 

 

 

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そうやって自分の欲が強すぎるのに限らないですが、とにかくその件に関して関わっている他者がどう考えているのかという他者視点を持ったら色々なアイデアが湧いてきそうなんだけどそこが抜け落ちてるなーっていうタイプの人に対して、質問を使って他者からの見え方を想像させるというそういう練習を今日やります 。

自分からはこう見えていても相手から見たらどう見えているのかっていう相手の視点、この図の右の「?」の部分に興味を向けさせるように質問をするということです。

 

 

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一段下の望みが手段であったら一段上はその目的になりますよね 。

 

対人関係のトラブルとかって喧嘩みたいになってくると、目的を忘れて戦い始める人が多いんだよ。でも元々トラブり始めた最初には何かもっと本来の目的っていうのがあったはずなんです。

例えば「彼にもっと愛されたい」というのが望みなんだけど、愛されてないと思った時に不満に思って喧嘩を始めるわけでしょ。

で、その時に「どうやって喧嘩に勝つか」っていう風に手段がだんだん目的化してしまうんだけど、「じゃあ結局のところ何か目的なの?」って聞いて「相手から愛されることなんです」っていう答えが返ってきたら、「じゃあその喧嘩を頑張って続けることが得策なのか」っていう話になりますよね。

こういう風にして。自分は相手と自分の間でどういうことを一段上の望み、目的として持っているのかっていうことを質問して確認しておくっていうのは、この先の話を考えていくにあたって重要なんです。

 

これは本当にものすごく共感する。

身近な例では母が1番このタイプで、母は非常に感情的な人間なので怒ると相手に勝とうとすることしか考えない。娘や姉と良い関係を築きたいと思っているのに、はたから見ればどう考えても引いた方がいいだろと思うところで引かずに怒りをぶつけてしまう。

ぼくは何度か母に、「お母さんの目的は何? 最終的に良い関係を築くことでしょ? そこで怒ることになんの意味があるの?」と聞いたことがある。答えは「そうなんだけど耐えられないのよ」というものだった。

非合理的だし損してるなと思うけど、それが人間なんだろうと思う。ぼくはかなり理性で怒りを制御して一段上の目的に合った行動ができるけど、それでも時々は目的に沿わない行動を感情に任せてしてしまう。

そこで「あなたの目的は何? 怒ってもしょうがないんじゃない?」とか言われたら、「うっせーな! こっちはストレス溜まってんだから仕方ねえだろ! お前はこのストレスを引き受けてないからそんな正論吐けるんだよ黙ってろ!」と思うだろう。

正論通りに行動できないのが人間なので、正論を言うときは「そうは言っても難しいんだけどね」みたいなことをしつこいぐらい言わなければならないと思う。

 

 

 

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一応今回は上から順に質問していけばなんとなくそういう風に他者視点が導入されて何かに気づくっていう流れになるように組んでありますが、実際には現場レベルだと今日紹介した質問の1つや2つをポンと質問しておしまいというケースもたくさんあります。

全部を 一通り綺麗に上から下までなぞらなきゃいけないわけではなくて、その時そのタイミングでちょっと聞いてみたいと思ったことをポンと聞くという感じで、パーツパーツで使っていくというのは全然オッケーです。並び順とかにはそんなに深い意味はないので固執しなくて大丈夫です。

 

 

 

ワークの感想は、動画内で「ぼくはいつも他者視点を想像しているので特に感想はない」と言った通りだ。

 

以前、この記事でぼくは次のように書いた。

 

rentalhanashiaite.hatenablog.com

 

「もしかしたら先生の言っていることは正しいんじゃないか? ぼくの優しさは間違っているんじゃないか? 」

そう何日も延々と考え、ある日、ぼくはついに分かった。

「そうか! 相手の立場に立たなきゃいけないんだ!!」

そう、ぼくはいつも「自分が良いと思ったこと」をしていただけで、「相手がどう思うか」は一切考えていなかったのだ。

それではどれだけ優しくしているつもりでも、嫌われたり怒られたりするのは当然だった。 

ぼくはそれから、あることを自分に課した。

「言動をする前に、必ず一歩立ち止まる」ことにしたのだ。

何か言いたいことがあってもいきなり言わず、「この言い方だと相手は傷つくんじゃないかな?」「今このタイミングで自分が発言したら、場の流れが止まっちゃうんじゃないかな?」と必ず立ち止まって考えるようにしたのだ。

 

 

上記で書いた習慣は今も続いており、いつも息をするように他者の感情や思考を推測している。

 

なので今回のワークでもケンタさんに質問をされて「特に発見はなかった」と言ったが、めんたねさんはツリーでこんな風にツイートされていた(ツリーの途中をいくつか省略している)。

 

 

 

 

これは、ぼくは「分かっている」と言っているが、実は「分かってない」ということなのだろうか?

自分が父親に「明るいバカ話だけをしてくれ」と言えない理由は確かに分からないけど、それは「父の視点を想像すること」とは全く別のレイヤーの話ではないのか?

少なくとも「外から見ている人にはよく分かること」ではないし……。めんたねさんのこのツリーの意味がさっぱり分からない。

 

ただどうあれ、「他者の視点を想像すること」と「他者の視点を正しく想像できること」は全く違う話なので、「ちゃんと想像してるから!」と思って油断してはいけないとは強く思う。「想像しようとしてるけど合ってるかな?」と常に自分の想像を疑う姿勢が大事だと思う。